朝礼のことば

4/28(金) 朝礼のことば

今日は、来月5月3日に行われる「乙女峠祭り」についてお話します。この乙女峠祭りは、毎年5月3日に島根県津和野町で行われているキリスト教の祭りで、全国から約千人くらいのカトリック信者が参加しています。今年は4年ぶりの開催ということもあり大勢の人たちでにぎあうことが予想されています。「祭り」といっても一般的な夏祭りや秋祭りなどとはまったく違い、いわゆるキリスト教の信仰のために命をおとした人々、すなわち「殉教者」をたたえる祭りです。小さな津和野の町を信者たちが祈りや歌をささげながら乙女峠の上まで行列します。毎回、津和野教会の依頼を受けて、萩光塩学院の4人の生徒がこの祭りの中で、聖母マリア像を担いで行列に参加します。当日は、5月のゴールデンウイークとも重なり、多くの観光客を含め、津和野町の人口が1年で最も多くなるそうです。ところで、皆さんは、日本におけるキリスト教の歴史を知っていますか。キリスト教は、1549年にフランシスコ・ザビエルによって日本に伝えられ、その後西日本を中心に一時広まりを見せましたが、豊臣秀吉以後、禁止され、明治時代のはじめまでキリスト教を信じることは許されませんでした。そんな中、隠れキリシタンと呼ばれた人々がひそかにキリスト教の信仰を守り通していましたが、1865年、長崎の浦上というところで何千人という隠れキリシタンが役人にとらえられ、改宗させるため全国各地へ流されました。そのうちの153人が津和野に連れてこられ、改宗を迫られましたが、神への信仰を貫き通して37人の信者が乙女峠で殉教しました。萩にも約300人が連れてこられ、多くの殉教者が出ています。

また5月は、聖母マリアの月です。カトリック教会ではイエス・キリストの母、すなわち神の母である聖母マリアをたたえ、聖母マリアへの信仰を強めるために特別に祈ります。神と自分とのかかわりについても黙想します。学院の5月のテーマは「かかわり」です。「かかわり」については、また来月、朝礼でお話しします。

 皆さん、時間があれば、ゴールデンウイーク初日、5月3日にぜひ、津和野の乙女峠祭りでお会いしましょう。

4/21(金) 朝礼のことば

 皆さんもよく知っているとおり、SDGsのSはサステイナブル、持続可能という意味です。今日は、持続可能でない話をします。
それは石油です。石油からはLPガス、ナフサ、灯油、軽油、残油が生成され、灯油はストーブの燃料、軽油はトラックやバスの燃料、残油は道路のアスファルトなどになります。そしてナフサは蒸留されて車の燃料であるガソリンになりますが、それだけではなく、電気製品や文房具で使われるプラスチック樹脂、シャツやセーターなどの合成繊維、タイヤの合成ゴム、塗料や洗剤など様々なものになります。私たちの生活になくてはならないものばかりです。しかし地球上にある石油の量には限りがあります。私が大学生だった1980年頃には、あと30年で石油がなくなると言われていました。つまり、すでに13年前に石油は採れなくなっている予定でした。でも、新しい油田の発見や海底の油田、シェールガスと言われる岩石などに含まれる石油が採れるようになったことで、最近は後50年石油が使えると言われています。50年と言えば、私はずっと石油が使えますが、皆さんは生きている内に石油がなくなってしまいます。石油は持続可能ではないのです。
 18日から始まった上海モーターショーで展示されたのは、ほとんど電気自動車でした。ヨーロッパでは2035年以降は電気自動車など温室効果ガスを排出しない車以外は新車登録できなります。また、石炭や天然ガス、石油を燃やす火力発電に代わり太陽光発電などの再生可能エネルギーも増えてきました。しかし、電気自動車や太陽光発電、風力発電などはレアメタルという希少な金属を使うこともあって、今度はレアメタルの奪い合いという問題も出てきていますし、太陽光発電のパネルは寿命が20~30年なので2040年頃には大量のパネルが廃棄され、その処分も課題になってきます。
 持続可能というのはなかなか難しそうですが、それらの問題を解決して電気自動車や再生可能エネルギーが増えていけば、石油の消費量も少なくなり石油が長く使えるようになります。また、植物などから燃料やプラスチック樹脂を作る技術も進んでくれば、そのうち石油を使わない持続可能な世界が来るかもしれません。どうなっていくのか楽しみですね。

4/14(金) 朝礼のことば

学校が始まって、1週間がたちました。中1、高1の皆さんは、学校に慣れてきた頃でしょうか?それとも少し疲れが見え始めたきた頃でしょうか?
 今月の学院のテーマは「出会い」です。みなさんは、この4月どんな出会いをしましたか?新しい生活、新しいクラス、新しい先生と環境の変化があったことでしょう。そして新しい自分に出会うために、努力している人も多いのではないでしょうか。私は4月から環境が変わり、少し戸惑っていました。いつも元気でキラキラと輝いている中学生の所から、ちょっと大人の高校生へと移動が決まり、不安の日が続きました。
「私にできるだろうか。私はやれるだろうか」
そう思っている時、生活の変化もありました。私は寮で生徒と一緒に暮らしています。3年間一緒に暮らしていた生徒が卒業し、寂しい気持ちでいました。3年という時間を過ごしたことで、本当に家族のような愛情をもち、その人達がいなくなってしまい、また不安を覚えていました。ところが、そんな思いとは裏腹に、すぐに新しい生徒がやってきました。この生徒たちも、親元を離れ、光塩を選び、目標をもって来た人たちです。初めての萩での生活、周りに知っている人が誰もいない、さぞかし不安だろうと心配していましたが、一日一日と暮らしているうちに、この生徒たちで仲良くなり、夜は一緒にみかんをむいて食べ、とても楽しそうに笑っているのです。不安でいっぱいの私の心は、彼女たちのおかげで少しづつ回復し、元気を取り戻していったように思います。そして、場所が違っても、この1週間で、キラキラと輝いているのは、ちょっと大人の高校生も同じだな、と感じ始めています。
 今月の学院のテーマは「出会い」です。神様が与えてくれるこの出会いに、何を感じ、どう行動するかを考えながら、これから起こる全てのことを楽しみに、学院生活を生徒と共に送っていこうと思っています。

11/4(金) 朝礼のことば

11月1日に行われたサルーキのコンサートはどうでしたか?皆さんにとってはロックバンドのコンサートは初めてだった人が多いのではないかと思います。5年前は光塩の体育館でステージ前に集まり、皆で盛り上がりました。先生もステージ前でサルーキと一緒に盛り上がったことを懐かしく思います。

 さて、今月のテーマは希望です。私は希望という言葉を聞くと、反対の意味の「失望」や「絶望」を思い浮かべてしまいます。今年度も絶望感を何度か経験しました。そんな時、立ち直ってまた希望をもって頑張ろうと思えるようになるのは、周りにいる家族や同僚の先生方、そして生徒の皆さんの励ましがあるからです。開校記念ミサで外川神父様が「眼差しはみんなに降り注がれている、それが実感できる学校」と言われていました。また、サルーキのボーカルの千代さんは「今になって周りの支えでここまでこれたことに気づき感謝している」と言われていました。神からの眼差しに気づかれたのだと思いました。

 今、皆さんは希望をもって日々生活する中で、学習や進路、人間関係、部活動など生活の中で悩みや不安を抱えて過ごしている人も多いと思います。ですが皆さん一人ではありません。近くに家族や友人、先生そして神様が見守ってくださっています。

困った時には身近な信頼できる人に頼ることが解決の糸口になると思います。それが神の救いなのだと感じました。

 人は褒められたり励まされたりすれば喜び、怒られたり失敗すれば落ち込みます。その繰り返しの中で人は成長していきます。これからも今を大切にして周りの支えを実感しながら前向きに希望をもって生活していきましょう。

10/28(金) 朝礼のことば

みなさん、おはようございます。今年はミニ四駆が販売を開始して40年の節目の年です。ミニ四駆はシンプルな構造ゆえに奥深いレーシングカーの模型であり、現在世界中で幅広い年代の人々に楽しまれています。

 そしてこの40年の間に名車と呼ばれるものが数多く生まれましたが、中でも「ライジングバード」というマシーンは私にとって特別な一台です。ボディのデザインがそれまで主流だったバギースタイルとは一線を画し、どこかヒーローものの戦闘機を彷彿させ、真っ赤なシャーシとタイヤのインパクトと相まって、まさに子供たちの夢や理想に形が与えられたスペシャリティカーでした。「ライジングバード」が登場した当時、小学六年生だった私は、「とんでもないものが出てきたなあ」と非常に興奮したことを今でもはっきりと覚えています。

 ところで「ライジングバード」は車体後方に伸びる大きな翼が原因でボディが重たく、また風の影響を受けやすいため、時に走行が不安定になるという欠点もありました。つまり格好良さは理想的であっても、必ずしも現実のレースに向いているわけではなかったのです。

 では「ライジングバード」は欠陥車だったのでしょうか。実は設計担当者の涙ぐましい努力によって、理想の形を損なうことなく、欠点を克服する工夫もされていました。車体を地面に押しつける力のことをダウンフォースと言います。そのダウンフォースを作り出す第二の翼が追加され、安定した走りができるようになっていたのです。このことから私は、途中であきらめることなく問題解決を図る姿勢が本当に大切なのだと実感ました。

 理想と現実との間に時に大きな隔たりがあり、その差を一朝一夕には埋めることができないこともしばしばあります。しかし、「どうして自分の思った通りにいかないのか」と思い悩むよりも、「どうやったらうまくいくだろうか」と前向きに考えるほうが、理想の実現に近づくのではないでしょうか。小さなミニ四駆から貴重な気づきがあったことは、今では私にとって大きな財産となっています。

10/21(金) 朝礼のことば

おはようございます。

2学期の中間試験が終わりました。ベストを尽くせた人、もう少し頑張れたと後悔している人それぞれいると思います。試験の結果が返却されたらしっかり復習を行ってくださいね。

さて、明後日、10月23日は「化学の日」です。この化学は「化け学」の化学です。

人々の暮らしを支え、地球の未来を創る「化学」の魅力をより多く知ってもらいたいという思いのもと、2013年に制定され、その日を含む月曜日から日曜位までの1週間を「化学週間」として制定しました。ちなみにこの日は、高校で化学基礎を勉強した人にはおなじみのアボガドロ定数6.02×10の23乗に由来しています。

そこで明後日の化学の日にちなみ、ノーベル化学賞を受賞した日本人の1人である白川英樹(しらかわ ひでき)博士について紹介したいと思います。白川博士のノーベル化学賞受賞理由は「導電性高分子の発見と発展」です。高分子は、ペットボトルやレジ袋、ストッキングに使われているナイロンなど、私たちの生活のあらゆる場面に使われています。

かつてこの高分子には電気は流れないと考えられていました。そこに電気が流れることを発見したのが白川博士です。

この発見には有名なエピソードがあります。白川博士の研究室に来ていた留学生がある実験を始めました。その実験では、黒いフィルムができるはずでしたが、できたものは銀色のフィルムでした。実はその学生は反応の促進を促す触媒と呼ばれるものの量を誤って1000倍も多く加えていたのです。このとき出来ていたのが、導電性高分子のフィルムであり、この失敗が高分子の世界を一変させる大発見へとつながっていきました。この導電高分子は現在、スマートフォンのタッチパネルやリチウムイオン電池など私たちの身近な所で広く応用されています。

「大発見は失敗から生まれる」。

失敗を恐れて何もせず立ち止まるのではなく、様々なことにチャレンジしてください。

もしかしたら、その失敗から新たな大発見が見つかったり、様々なことを学んだりすることができるはずです。

10/7(金) 朝礼のことば

10月に入り、朝晩は涼しさが感じられるようになりましたが、日中はまだまだ暑い日も多いです。日々の気温の変化に気を配りながら、体調管理には十分に気をつけ、秋を楽しんでください。

さて、今月の目標は「信頼」です。先月の山下先生のお話にもあったように、先月のテーマである「協力」と今月の「信頼」はとても繋がりの深い言葉です。自分の都合の良い時だけ、人に協力を求め、自分が求められた時は、逃げてしまう。果たして、そんな人は皆さんの「信頼」に値するでしょうか?

信頼を得るために大切なことは、まず、自分自身を信頼することです。自分のことを信頼して、自信と責任をもって物事にあたることが他者を信頼する鍵になります。次に必要なのは、相手と互いに協力し合い、誠実に対応していくことです。

私たちは、日々の関わりの中で、お互いに「協力」し合い、少しずつ「信用」(実績)を積み重ねていくことで、「信頼関係」をつくっていきます。信頼する側にも、信頼される側にもお互いに対する尊敬や思いやり、愛が必要なのではないでしょうか。皆さんはお互いを思いやり、しっかりと協力することができていますか?

「信頼を得ることは難しく、信頼を失うのは簡単だ」とよく言われていますが、積み重ねた信頼関係は一度の失敗で崩れてしまうのでしょうか?私は失敗ではなく「裏切り」によって信頼は失われてしまうと思います。

人は間違える生き物です。生まれてから今まで、一度も失敗をしていない人はいません。私自身も、これまで沢山の失敗をしてきましたが、その度に、周囲の人に助けられて来ました。反省を糧に、失敗した時は、自分をよく振り返り、同じ失敗をしないように、よく考えて行動をするように心がけています。人の目がある時はもちろんですが、人の目のない時こそ、相手を「裏切る」ことがないように、「嘘をつかず、言い訳をせず、逃げない」と心にとめ、誠実に物事にあたり、皆から「信頼」される人になれるように日々を過ごしていきましょう。

9/30(金) 朝礼のことば

みなさん、おはようございます。     

各クラスの先生方、今みんなの挨拶はどうでしたか。元気よく大きな声で挨拶してくれていましたか。コロナ禍なので、「大きい声であいさつしなさい。」とは言いにくいのですが、あいさつは、やはり気持ちのよいものです。あいさつで会話が始まったり、互いの体調を気遣ったりと、あいさつはコミュニケ―ションの入口だと言えます。

 私は今年、高3の就職のお手伝いをしています。大したことは全くできません。就職試験の面接練習をするにも、先輩の先生方にたくさん教わって、それでも分からないことだらけです。面接室への入り方、イスに座るまでの動作、質問の種類、面接でどんなところを見られるか、など、どちらかと言えば生徒目線で確認してしまっているのが現状です。ただ一つだけ、面接する側からの目線で気が付くことがあります。あいさつです。面接官と生徒が交わすひとこと目で、その人の印象の大部分が決まります。想像してください。自分が面接官だったら、面接室に入ってハキハキあいさつできるにこやかな人と、小さな声であまり表情もない人。これから先、一緒に仕事をしていく仲間として、どちらを採用したいと思うでしょうか。

 あいさつと言えば、私は町内を歩くとき、出会う人には、知らない人でもあいさつをします。今の時代、知らない人にあいさつをしたら、不審者ととらえられかねないですし、実際、「え、だれ?」という目で見られることもあります。その時は少し寂しい気持ちにもなりますが、その少しの寂しさよりも、あいさつから始まった近所の人たちとのつながりや温かさの方が、圧倒的に大きいので、私はまた新しい出会いにつながるかもしれないあいさつを、返事があるなしは気にせずに、続けているのです。

授業のはじめと終わりのあいさつ、感謝や謝罪、出会いや別れ、言葉としてはほんの一言ですが、その一言から、たくさんのつながりが広がり、みなさんにとって心地よさや安心感が感じられる場所が増えればいいなと思います。

園児募集要項

認定こども園 萩光塩学院幼稚園

2023年度 園児募集要項

(1号認定 教育標準時間認定〈従来の幼稚園〉)

クリックするとPDFが開きます↓

園児募集ポスター.pdf 2023年度園児募集要項.pdf

9/16(金) 朝礼のことば

 毎週水曜日夜11時からNHKで、パンサー尾形が難解な数学の世界を大真面目に解説する異色の知的エンターテインメント番組、「笑わない数学」が放送されています。

7月に始まったこの番組では、「素数」「フェルマーの最終定理」「連続体仮説」「四色問題」など、いろいろな数学の話題について、1回30分の番組の中で「トコトン分かりやすく掘り下げ」ています。

「フェルマーの最終定理」というのは、「nが3以上の整数のとき、x ny nz nを満たす整数xyzは存在しない」というものです。nが2のときは三平方の定理と言って、x2y2z2を満たす整数xyzは、3,4,5や5,12,13など無数にあります。しかし、nが3以上になるとそれを満たす整数を見つけることはできません。そして、フェルマーはこの定理を書いた文書の中に、「この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。」と言って、証明を残していませんでした。そこで、この定理を数多くの数学者が証明しようと試みましたが、完全な証明ができたのは、フェルマーの死後から330年も経った1995年でした。フェルマーの最終定理については、新潮文庫の「フェルマーの最終定理」という本にとても読みやすく書かれていますので、興味のある人は読んでみてください。

また、「素数」については、これも新潮文庫の「博士の愛した数式」という小説をおすすめします。読んだ人はきっと数の世界が好きになるはずです。因みに、村上先生が冬場に着ているいろいろな文字が書いてあるトレーナーは、この本の中の博士が着ている上着が元になっています。

話がそれましたが、この「笑わない数学」という番組をぜひ観てみてください。「何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」という西行法師の言葉のように、数学がわかるようには決してなりませんが、「数学ってなんか面白そうだな」と、きっと思えるはずです。

9/9(金) 朝礼のことば

2学期に入り、最初の行事である体育祭が終わりました。みなさんの一生懸命、演技や競技に取り組む様子そして何よりみんなで協力して、楽しみながら活動している姿がとても印象的でした。

今月の学院のテーマは「協力」です。体育祭などの行事に限らず、協力して物事に取り組む場面は日常生活の中でもよくあります。しかし、たまにこの「協力」という言葉を都合よく使っている人がいます。例えば、掃除や何かの準備の時、やることはたくさんあるにもかかわらず、1人でもできるところを数人でやっていたり、運ぶ物は他にもあるのに1人でも運べるようなものをわざわざ何人かで分けて運んでいたりなど...それを指摘すると、こんな答えが返ってきます。「協力して、やっているんです。」

みなさんはこれを協力と考えることができますか?

たしかに、一つの仕事に複数の人で取り掛かり、早く終わらせて他の仕事に手を回すことができれば、これは協力といえるでしょう。しかし、残念ながら今、言ったような人たちに限って、手よりも口が動いていて、1人でやるのと大して変わらないというのがほとんどです。

もし、あなたが困って、誰かに手伝ってもらわなければいけなくなったとき、その人たちに協力を求めたいと思いますか?

もちろんこれはごく一部の話で、光塩の生徒はむしろ率先して協力する人が多く、よく動くなと感心させられることのほうが多いです。

「協力」とは、自分にできることに全力で取り組み、一人ひとりがやるべきことをしっかりやったうえで、力を合わせることだと思います。行事や普段の生活を通して、互いに協力することを繰り返し、その中で「信頼」が生まれます。そして、信頼があるから、いざ困ったとき、協力を求めることができるし、逆にその人が困ったときはすすんで協力したいと思えるようになるのだと思います。

ちなみに、「信頼」は来月の学院のテーマです。この2学期はたくさんの行事があります。それらの行事、様々な活動にみんなで取り組み、「お互いに信頼しあえるような協力」ができる人であってほしいと思います。

6/17(金) 朝礼のことば

 6月11日、例年よりも遅く、山口県もようやく梅雨入りとなりました。昨年よりも1ヶ月遅れたようです。今日は、朝からどんよりしたお天気ですね。私は、雨が降り続く日、晴れた日が続くとき、花の水やりをしながら......そんな時、心で口ずさむ曲があります。合唱組曲「水のいのち」という曲です。この曲は、私が高校生のとき音楽の時間に教えていただき、萩市民館の舞台で合唱しました。

 先日中庭でシスター古屋にこの曲のことを話すと、シスターも合唱をしたことを覚えてくださっていました。「水のいのち」始めて見た楽譜に、表紙を作り練習スタート。音の重なりが雨粒みたいに降ったり止んだり、ゆるやかな音の気持ちの良い合唱曲だった、と感じたことを覚えています。高校生の時は、素敵なメロディー音とみんなでつくるハーモニーの気持ちよさだけを感じていたのかもしれません。大人になった今は、曲も好きなのですが、歌詞がとても好きになりました。

 合唱組曲「水のいのち」の第1曲、「雨」、歌詞は、

      降りしきれ 雨よ

      降りしきれ

      すべて

      立ちすくむものの上に

      また横たわるものの上に

      降りしきれ 雨よ

      降りしきれ

      すべて 

      許しあうものの上に

      また 許しあえぬものの上に

 どちらかというと雨には、切なさを感じてしまいますが、雨は潤いも与えてくれます。どんな人の上にも平等に振り注ぐ雨。どんな人の上にも、どんなときにも、どんな所にも降り続けます。ケンカしたとき傷つけ合っても、悲しくても、うれしくても、そこに雨が降ります。この曲は、雨にたとえて 私たちに何かを伝えたかったようです・・・・。ケンカしたり いやな気分になったりして 許すことがなかなかできないこともありますが、振り続ける雨に、平等と希望、優しさをも感じさせてくれる曲のようです。その曲を今も何度も心の中で歌っている私です。そして、この雨のように平和が世界中に降り注いでくれたらと願っています。

 皆さんにも大好きな曲、忘れられない曲があるかもしれません。一曲の歌から、その頃が思い出されたり、曲の中に自分を重ねたり、曲の中でこうなったらいいなと願いをこめているときもあるかもしれませんね。まだそんな音楽に出会っていない人にも、このどんよりした梅雨の季節に、皆さんの心に光をさしてくれる曲がありますように。そして、みんなの上に素敵な雨が降りますように。

6/10(金) 朝礼のことば

 5月末から行われていた県総体に出場した皆さん、お疲れ様でした。暑い中、皆さんが力いっぱい戦った様子は顧問の先生からしっかり報告を受けました。インターハイ出場・中国大会出場といった目標を達成した皆さんは、光塩の代表、また山口県代表としての誇りと共に、常に周りから注目されているという自覚を持って、日々の学校生活を過ごしてください。更なる活躍を期待しています。また残念ながら試合で負けてしまい、目標に手が届かなかった人も、最後まで全力を出し切ったこと、その姿から確かな成長がみられたことも聞いています。大会後いろいろな思いから多くの生徒が涙を流したそうですが、その涙を今後どう活かしていくかは皆さん次第です。その時だけの悔し涙で終わるのか、数年後「あの時の涙があったから強くなれた」と言えようになるのか。特に1.2年生は今後の部活動への取り組み方次第で涙の意味は大きく違ってきます。先週河村先生も話されましたが、運動部・文化部共に、部活動は、試合や大会で勝つか負けるかだけでなく、3年間の厳しい練習を乗り越えたこと、友達との人間関係に悩みながらも最後まで続けてきたことにも大きな意味があります。日々の活動の中で、自分の成長を信じ、厳しい練習にも不満を言わず、一生懸命努力してきた人は、試合に負けても、きっとこれからの人生の勝者になることができます。今、皆さんが経験していることは、必ず皆さんの力になるのです。本当にお疲れ様でした。
 さて、6月1日から教育実習生として3人の先生が、皆さんと共に学んでいます。光塩で学んだ生徒が、教員資格を取るため大学で学んでいること、そして光塩で実習したいと思ってくれたことは、私たちにとって大変嬉しいことです。3人の先生たちは、この3週間、恩師の先生方からのプレッシャーも受けながら、すごい緊張感の中で、毎日実習していることでしょう。今日は、そんな先生方の高校時代のことを、高3の時の担任だった河村先生と杉山先生から聞いたので紹介したいと思います。尾崎先生は、仙崎中の出身で列車通学をしていました。雨や強風で列車が止まっても休むことなく、バスなど他の交通機関を使って登校していました。校友会会長やバレー部のキャプテンを務め、みんなをまとめていく生徒の中心的存在でした。責任感、正義感が強く、さらに人にも優しく、自分のことよりも人のために行動できる生徒だったそうです。そして、「よく笑う」笑顔が素敵な生徒でした。今は実習中で、緊張感から尾崎先生の一番の魅力がなかなか見らないかもしれないので、生徒の皆さん是非解してあげてください。中村先生は、幼稚園・中学校・高校の9年間を光塩で過ごし、光塩の精神をよく理解して
います。中学校で校友会会長を務め、高校では書道部の副キャプテンとして書道パフォーマンスで活躍し、2年連続山口県大会優勝、中四国大会に出場しました。また韓国にも遠征しました。視野が広く、周りの様子に敏感に気づき、人が何を求めているかを考えながら行動できる生徒だったそうです。好奇心旺盛で人とのかかわりも大切にしているので、熊本の震災ボランティアをはじめ様々なボランティア活動、教会活動にも積極的に参加していました。重安先生は、防府市の出身で、卓球で阿部先生の指導を仰ぐため、双子のお姉さんと一緒に入学しました。3年間、保護者と離れての下宿生活だったので、部活が終わった後の掃除や洗濯などは大変だったでしょう。しかし、全国大会出場と大学進学いう目標を果たすため、厳しい部活の練習、遠征、試合を繰り返しながらも、学習にも手を抜くことなく一生懸命取り組んでいました。そして卓球部のキャプテンとして2年連続全国大会出場という目標を達成しました。強い意志と正義感を持ち、人を大切にする面倒見の良い生徒だったそうです。
 河村先生、杉山先生に聞いたら良いことばかりで、褒めすぎではないかと思い「困ったことはなかったですか?」と聞き返したところ、笑いながら「ない!」と答えられました。ただこうも言われました。「3人ともきっと勉強はあまり好きではなかったと思います。上手に時間を見つけては思いっきり遊んでいたようです。勉強も部活も遊びも、けじめをつけて行動していました。だから勉強は嫌いでも、成績は優秀で、進路実現に向けても、きちんと取り組んでいたので第一希望の大学に合格したんです」と。
生徒の皆さんにとっては、年齢も近く、良いお手本となる先輩が、今、目の前にいます。このチャンスを大切にし、3人の先輩たちから1つでも多くのことを吸収してください。実習中の先輩方を応援するとともに、日々努力している姿を見ながら、自分たちの未来を想像してみてください。そして在校生の中から、また「先生になりたい!」「母校で働きたい!」と思ってくれる人がいてくれたら嬉しいです。

6/3(金) 朝礼のことば

 今週から6月になり、新学期からあっという間に2ヶ月が経とうとしています。先週末には運動部の集大成の大会である山口県総体が県内各地で行われました。高校3年生はこの大会を最後に、部を引退し、今は自分の進路実現に向けて気持ちを切り替えている人がほとんどだと思います。大会で自分の納得いく結果を出せた人もいれば、もっとできたはずと後悔している人もいるかもしれません。大切なのは、部活を最後までやりきったと自分に自信をもつことをもつことです。その自信は、これから迎える受験や、社会に出てから何かに挑戦するときにも、必ず大きな力になるはずです。ぜひこれまでの経験を糧に様々なことに自信をもってチャレンジしてください。まだ引退まで時間のある生徒のみなさんは、このような気持ちになれるように今日から真剣に取り組んでみてください。
 また、6月1日から3名の先生が教育実習をされています。なかなかない機会ですので、ぜひいろいろな話をしてみてください。実習をされている先生方は、とても緊張されていると思いますので、ぜひ生徒の皆さんの方から話しかけてあげてください。きっと喜んで話してくれ
るはずです。みなさんの先輩でもある先生方と、当時の光塩と今の光塩の違いを聞いてみてください。
 さて、6月の学院のテーマは、「ゆるし」です。「ゆるし」と聞いて、思いつくのは「何か悪いことをしたときに、相手からゆるしてほしい」ではないでしょうか。「ゆるす」よりも「ゆるされたい」と思う気持ちの方がみなさん、強いのではないでしょうか。私たち人間はわがままですので、人には「ゆるしてほしい」と訴えるのに、自分が「ゆるす」立場になるとなかなか素直に「ゆるしてあげらない」ものです。私も実際、自分に余裕がないときは、心から「いいよ」と言えない時もあります。みなさんも同じような経験がよくあるのではないでしょう
か。しかし、思い出してください。「わたしたちの罪をおゆるしください。私たちも人をゆるします。」と毎朝、そして今日も唱えていますよね。誰かや、何かから「ゆるしてもらう」ためには、自分がまずは「ゆるす」ことが大切です。また相手に対して「ゆるす」という感情が
生まれるのは、4月に「出会って」、5月にしっかり「かかわる」ことができたからこそ6月の「ゆるし」につながっています。これから文化祭などの行事もあり、行事を成功させるためには、仲間と多くの時間を共有していかなければなりません。いろいろなことを話し合い、進
めていく中で疲れや忙しさから、相手のせいにしたり、相手を責めてしまったりする場面も出てくると思います。そんな時こそ、一旦立ち止まり、相手を受け入れ、ゆるせる心の余裕をもってください。そのような「ゆるし」の心であふれた6月にしていきましょう。

5/27(金) 朝礼のことば

今日5月27日は「百人一首の日」です。1235年、藤原定家によって小倉百人一首が完成された 日とされています。また、明日28日は「在原業平の命日」としてこちらも記念日に制定されています。 そこで、今日はこの在原業平についてお話ししたいと思います。 在原業平という人物を知っていますか?高校2・3年生の皆さんは、私が授業で教えた人もいるので もちろん覚えていますよね?まだ習ったことのない人、忘れてしまった人のために少し紹介します。 在原業平は今から約1100年前の平安時代に活躍した歌人です。六歌仙の1人で、日本最初の勅撰 集である『古今和歌集』に30首も収録されている和歌の名手です。また、百人一首では、マンガ・ア ニメなどでも話題になり、現在クラスに原画展のチラシが掲示されている「ちはやふる」の歌を詠んだ ことでも有名です。天皇家の生まれでありながら、しきたりに捉われず、公的な漢文よりも自由に創作 意欲をかき立てる和歌に深く興味を持っていたといわれています。そして、情熱的で恋多き色男のよう な印象で語られることが多く、『伊勢物語』の東下りの段では、その恋愛観ゆえに現代では疑問を持たれ てしまいそうな一面もあります。 しかし、彼の和歌を詠むと、やはり彼の学問に対する意識の高さは並外れたものであったことを深く 感じることができます。 この東下りの段で詠まれている からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ という有名な歌があります。この歌は、そこに咲くかきつばたになぞらえて旅の思いを即興で詠んだと いうものです。もちろん物語なので、この歌は後々考えられたのかもしれませんが、和歌の技巧をほぼ 全て取り入れられている上に、情景も鮮明に描かれており、在原業平が和歌の名手であることを説明す るのに最もふさわしい一首であると思います。 また、在原業平がしきたりを重んじないため漢文を学ばず、和歌を好んだと言いましたが、本当にそ うなのでしょうか。 和歌には、決まり事が多く字数にも制限があります。限られた中で自分の感情の無駄な部分を省き「か きつばた」の歌のように、ルールも最大限に生かしながら創作する彼は、実は誠実で真面目で勤勉だっ たのではないでしょうか。 千年の時を超えてもなお語り継がれる在原業平が、ただの色男で歌が上手いだけでは歴史に残ること はないと思います。私たちが見ている彼の姿は、作品を通して見えるわずかな部分だけです。本当にそ の人を知ろうとするには興味を持って深く調べ、関わることが大切だと思います。そのときに彼の本当 の姿が見えてくるのではないでしょうか? これは現在の私たちの関わりにも同じことが言えるのではないかと思います。私たちは、他者のこと をどれくらい知っているでしょうか?友達、先生、家族、さまざまな人と関わって生きていますが、そ の人たちのことをどれくらい知っていますか。もちろん、見えている印象も大切かもしれません。しか し、もしかしたらそうではない一面が隠れているかもしれません。そう考えながら関わりを深めていく と、今までと違った発見があるかもしれません。 発見を増やすことで、今までと違う関係が築け、意外な喜びを見つけることができるかもしれません。 周りの人の素敵な一面を見つけてみませんか?

5/30(金) 朝礼のことば

中間テストお疲れ様でした。「テスト期間中は睡眠時間を削って勉強した」、「課題が終わらなくてほとんど眠れなかった」という人も多いのではないでしょうか。今日はそんなテスト期間に削られがちな睡眠についてお話したいと思います。

私たちは人生の多くの時間を睡眠に充てています。「人生の三分の一は睡眠です!」というあるふとん屋さんのコマーシャルに聞き覚えがあるのは私たち世代だけでしょうか。一日は24時間なのでその三分の一は8時間です。8時間は長いなと思うかもしれませんが理想的な睡眠時間がまさに8時間程度だそうです。

さて、テストから解放されたみなさんは昨日何時間寝たでしょうか。日本人の平均的な睡眠時間は約7時間で、これは世界で最も短いとも言われています。

そして、よく知っての通り、睡眠不足の弊害はたくさんあります。「注意力や判断力が低下してミスが増える」、「やる気がなくなる」、「感情の制御ができずイライラしてしまう」、「食欲を抑えるホルモンが減り、食べ過ぎて肥満になってしまう」、「運動能力が低下する」

聞いたことはあるけどついつい睡眠時間を削ってしまうのはこれらの悪影響が自分の気付かない程度だからかもしれません。

この沢山の弊害をプラスに捉えれば、十分な睡眠をとれば、注意力や判断力が正常になり、モチベーションもあがり、健康的な体になって、持っている力を発揮できるということでもあります。

日本人の平均睡眠時間が約7時間であることからもわかるように、私たちの半数以上は気づかないうちに睡眠不足になっていてまだ伸びシロがあるとも言えると思います。

毎日8時間の睡眠をとるのは現状難しいかもしれませんが、「寝る前のスマホをやめる」とか、「時間の余裕があるときに課題を終わらせておく」とか、睡眠にあてる時間を増やす努力はできるのではないでしょうか。

5/13(金) 朝礼のことば

おはようございます。5月は新緑のシーズンで、気候も良く爽やかな季節です。ふと周りに目をやれば、青い海と新緑の山々、そして黄色い夏ミカン、色とりどりの花々などきれいな景色をたくさん観ることができます。気持ちの良いこの季節を体感し、学習や部活動に取り組む活力にしてください。

さて、昨年まで私は、月初めの金曜朝礼で毎月の月目標について話しをしてきました。しかし今年からは、月目標については先生方にお任せして、月に一度自由なテーマで話すことにしました。自由なテーマで話すことは、気楽でよいのですが、何を話すか悩みます。中学校1年生と高校3年生では、持っている知識や理解できる言葉、そしてこの学院で過ごしてきた時間も違うので、どう話すか本当に悩みます。

私の場合、皆さんに話すテーマを決める時は、基本的に次の3つの中から選びます。1つ目は、『こんな人になって欲しい』と思うことを本校の建学の精神を交えながら伝える。2つ目は、毎日の皆さんの様子を見ていて、ぜひ伝えたいと思ったことを自分の体験などを取り入れながら伝える。そして3つ目は、自分が良いなと思った偉人の格言や行いをわかりやすく伝えることです。私を含め、先生方の話しを聞く時には「長いな~」と思うのではなく、「何を言いたいのかな?」と耳を傾けながら集中して聞いてみてください。きっと皆さんが成長するために必要な大切なメッセージが込められているはずです。

さて、新年度が始まって1か月が経ちました。1年生の皆さんは新しい学校生活に慣れましたか。本校の中学校から高校に進学した人も、場所は同じでも高校という新しい生活環境に馴染めていますか。また2年生、3年生に進級した人たちも、新しいクラスや授業に上手に取り組めていますか。まだ新しい友だちができない、勉強についていけない、など学校が楽しくないと感じている人もいるかもしれません。そんな人は「5月病」かもしれません。

5月病というのは、進学や就職、異動や転勤などで、それまでとは違う新しい環境に入った人が、自分が考えていたものと違う状況に対処しきれず、その環境に不安を感じたり、目標を失って虚脱感を感じてしまったりする状態のことをいいます。5月病になりやすい人は、どちらかというと真面目で完璧主義、きちんとやらないと気が済まない人だそうです。だから今、この「5月病」を経験している人も多いのではないでしょうか。逆に今の生活が楽しい、充実している、と感じている人は5月病をうまく乗り越えた人です。ちなみに外国には「5月病」というものはないそうです。そもそも外国は新しい年度のスタートが4月ではなく、アメリカは9月、韓国は3月で、国によって新年度のスタートは様々です。また考え方も国によって違い、南米には、少々悩んでいてもそれを病気と見なさない国もあるそうです。世界に目を向けるといろいろと違いが見えてきます。多様な考え方を知ることも5月病解消の手掛かりになります。

話を戻しますが、5月病のように新しい環境に馴染めなかったり、自分の思っていた状況と違うと感じて落ち込むことは、誰でも経験することです。今悩んでいる人だけが特別というわけではないので、安心してください。この5月病をうまく乗り越えるコツは、物事を如何に楽観的に考えられるか、そして如何に肯定的に受入れることが出来るか、にかかっていると思います。

私の体験を例に話します。私は、元々物事を楽観的に考える方で、一つのことをずっと考え込むタイプではないので、5月病をあまり意識したことはありません。しかし今から10年ほど前にすごく悩んだことがあります。とにかく嫌で、毎日毎日現実から逃げることばかり考え、長い時間悩み続けました。最終的には、自分で結論は出したものの、自分の中で消化しきれず、その後もグチグチと考え込んでいました。今思い返せば、考えれば考えるほど追い詰められていたように思います。そんな時、2人の人にこんな言葉をかけられました。

一つ目は「自分で決めたことなのに、いつまでも悩んでいるなんて先生らしくないですよ」もう一つは「あなたは、変わらなくていいのよ」という言葉です。

当時の私は、頭の中では「受入れよう。理解しよう」と言い聞かせ、心の中は「どうしても嫌だ。受け入れられない」とバラバラでした。しかし、この2つの言葉のおかげで、「もういいや、なんとかなるさ‼」と良い意味で開き直り、本来の楽観的でPositiveな自分らしさを取り戻すことができました。そしてグチグチと過ごしてきた日々を反省し、二度と人前でそんな姿は見せまいと自分に言い聞かせました。

ここで私が皆さんに言いたいことは、もし私がNegative、つまり否定的な考え方しかできなかったら、どうだったでしょうか。例えば「自分には教員としての才能がない」とか、「こんなに悩んで、どうせ自分なんてダメな奴なんだ」と思い込んでしまっていたでしょう。そして私が今ここで頑張っていることはなかっただろうし、皆さんにこうして話しすることもできなかったでしょう。あの時私は、考え、悩み、迷いましたが、この件を機に、引き続き頑張っていこうと決めることが出来ました。それ以降悩むことがあっても(あの時に比べると大したことないな)と考えられるようになりました。

辛いことをプラス思考で前向きに変えていくことで、何だか仕事も生活も楽しくなります。また自分が前向きな気持ちでいると、周りにいる人にも良い影響を与え、その人たちも楽しくなります。本校のモットーである「自分の周りに喜びと光をまく人になる」ために必要なことでもあると思います。

さぁ皆さん、今はいろいろ悩み、迷いながら青春していると思いますが、まずは「5月病」に負けないようPositive思考で楽観的に自分の明るい未来を切り開いていこうとしてみてください。今月は中間試験もあります。嫌で嫌でたまらないテスト勉強も「為になる為になる」「テストが終わったら遊びまくってやる!」と前向きに考えながら、計画的に学習を進めていきましょう。

4/15(金) 朝礼のことば

みなさん、おはようございます。そして、新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。

萩光塩学院では、建学の精神とともに毎月のテーマが掲げられています。生徒手帳に1年間の月ごとのテーマが書かれています。今日は、4月のテーマ、「出会い」について話したいと思います。

私はこの萩光塩学院に来て、もう40年が過ぎました。この間に関わった生徒や保護者、そして先生方など萩光塩学院の関係者はゆうに千人を超えるでしょう。言い換えるなら、私はこの学校を通して千人以上の人たちと「出会った」ということです。もちろん言うまでもなく生まれてから今日まで両親をスタートとして私が出会った人の数は数えきれないでしょう。しかしながら、心の中に残っている憧れの人、今の私に大きな影響を与えた人との「出会い」は、それほど多くはありません。自分の人生を左右するような人に出会うことはめったにないのです。だからこそ、皆さんにはそんな、自分の生き方に大きな影響を与える人との出会いを大切にしてほしいと願っています。私は萩光塩学院での教員生活を通して二人の忘れられない尊敬する先生と出会いました。教師としての、人間としての、自分の生き方に大きな影響を与えてくださった人です。私は今でも、この二人の先生との「出会い」に本当に感謝しています。

どうか、皆さん、「いい出会い」をしてください。「いい出会い」をするためには、自分がある程度、苦労をして「出会い」を育てていかなければなりません。

「神さまがこの人と私を出会わせてくださった。だから、この出会いを育てていこう。」

「この人と私は会うべくして会ったのだから、このご縁を大事にしよう。」

このような感覚を持ってほしいと思います。そして、自ら考えて、前向きに生きていくことが、「いい出会い」につながるのではないでしょうか。

最後に、相田みつをという人の「出逢い」という詩を紹介して私の話を終わります。

その時の出逢いがその人の人生を根底から変えることがある

出逢いが人間を感動させ 感動が人間を動かす

人間を動かすものは むずかしい理論や理屈じゃない

人間を根底から変えてゆくもの

人間を本当に動かしてゆくもの

それは 人と人との出逢い そのときの出逢い

5/6(金) 朝礼のことば

水曜日の朝のテレビで、ある人がSNSに上げたことが話題になっていました。その人は、自分の店の商品のディスプレイ用に額縁を探していました。ある古道具屋で犬の絵が入った額縁を買い持ち帰って犬の絵を外すと、そこには数枚の写真が入っていてその絵の犬が家や飼い主と一緒に写っていました。これはきっとこの絵の犬の飼い主がとった大切な写真に違いないと思い、元の持ち主を探して写真を返そうとSNSに写真を上げましたが、持ち主は見つかりませんでした。この投稿を見たテレビ局はこの朝の番組で取り上げ、レポーターが飼い主を探しに行きました。古道具屋からは情報を得られませんでしたが、写真に写った家の門に見覚えがある新聞配達の人が場所を教えてくれました。その場所へ行ってみるとその家はすでに取り壊され新しい家が建っていました。しかし、その隣に住む人が連絡先を知っていて無事連絡を取ることができました。レポーターがこれまでの経緯を話すと、犬の飼い主は「その犬の写真は山ほどあるので必要ありません。そちらで処分してください」と話しました。あっと驚く結末でした。私たちは勝手に大切な写真だと思い込んでいましたが、本人はいらないから古道具屋に売っただけなのでした。

さて、今月のテーマは「かかわり」です。4月に新しい友達や部活動そして授業に出会い、そして5月はそれらと関わり始めるときです。この1年間が充実したものになるように、このかかわりを大切にしてよい関係を作っていってほしいと思います。

大事なことは、勝手な思い込みをしないことです。だれでも新しいことには抵抗があります。いろいろな先入観で「自分にはできない」とか「あの人は自分のことを嫌っている」とか言って否定したりもしますが、先ほどのテレビの話のように、思い込みは間違っていることが多くあります。「やってみると意外とできた」とか、「話してみると面白い人だった」とか。新しいことに躊躇しないで関わってみましょう。そうすれば新しい自分が見つけられると思います。

4/22(金) 朝礼のことば

おはようございます。理科を教えている都志見です。

私は毎朝、車の運転中、ラジオを聞きながら学校へ来ています。あるラジオ番組のなかで「今日は何の日」というコーナーを聞くことがあります。4/22の今日は「アースデイ、地球の日」や語呂合わせによる「よい夫婦の日」、「肩こりをいたわる日」などおもしろいものまでありました。

さて、きょうは明後日の4/24の「何の日」について紹介したいと思います。4/24、この日は日本では「植物学の日」とされています。「日本の植物学の父」と言われた、牧野富太郎さんに敬意を表し、牧野さんの誕生日にちなんで制定されました。牧野さんは、独学で植物の分類について研究史、多くの植物標本を残し、さらに約2,500もの日本の新種の植物を発見し、名前をつけた植物博士です。現在でも、牧野さんの植物標本やスケッチがもとになっている「牧野日本植物図鑑」があります。

昨年の中学校読書コンクールの課題図書にもなった牧野さんの生涯を綴った伝記もあるので、気になったひとは是非図書室へ行ってみてください。「植物学の日」に話をもどしますが、みなさんは学校に来るまでにどんな植物を目にしていますか?道ばたの草花、きれいに手入れされた鉢植えの花や木 さまざまな植物があふれていると思います。特に道ばたの草...名前を知っていますか? 知らない草花はすべて雑草ですか? いいえ、ちゃんとそれぞれに名前があります。「世の中に雑草という名の草はない」これはかつて、昭和天皇が牧野さんの言葉を引用されて言われた言葉です。「どんな植物にもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考えで、これを雑草と決めつけてしまうのはいけない。中止するように」と続けています。

今日、これから改めて出会う植物に興味をもったら名前を調べてみませんか。これは植物だけのはなしではありません。興味をもち「知る」ことで面白い発見が待っているかもしれません。

2/18(金) 朝礼のことば

 高3の卒業試験も終わり、いよいよ別れの時が近づいてきました。2月は中3・高3の皆さんにとって、中学・高校の総仕上げと次に来る新しい生活のための準備の期間です。残されたわずかな時間を大切に過ごすよう心がけてください。
 さて、今月の学院のテーマは『愛』です。生徒の皆さんは『愛』と聞くと、まずは恋愛のことを思い浮かべるでしょう。しかし、私たちの生活には、恋愛以外にもたくさんの『愛』があふれています。『家族や友だちへの愛』『仕事や生活や環境への愛』そして『自分自身への愛』。愛は、私たちの人生に楽しみを与えてくれて毎日を充実させてくれます。私は、人生を楽しむためにはさまざまな種類の愛が必要で、人生を楽しんでいる人にこそ、愛は近づいてくるものだと思っています。そして、愛を引き寄せるためには時に努力も必要です。
 今日は、そのためにどんな努力が必要なのか、どんな行動を心がけなければいけないのかについて話したいと思います。まず、聖書の中には『愛』とは、友のために命を惜しまず尽くしていくこと、困っている人を見て、言葉や口先だけでなく行いをもって誠実にかかわること、ねたまず・高ぶらず・誇らないこと、利益を求めないこと、愛には偽りがあってはならないことなどが述べられています。
 私たち一人ひとりが『愛』を形にしていくためには、まず1つ目として「相手の言葉に耳を傾けること」が大切です。何も言わず、ただじっと最後まで相手の話を聞くのは意外に難しいものです。特に自分の意見や気持ちが誤解されていると感じる時は、ついつい途中で訂正したくなります。しかし、まずは相手の話を遮らずに耳を傾けましょう。そこから愛は近づいてきます。2つ目は「包み隠さず共有すること」です。ワクワクするもの、便利なもの、素敵なものに出会ったら、それを惜しみなく他の人にも教えてあげましょう。本当に素晴らしいものに出会った時、人に教えてあげるのが惜しく感じることがあるかもしれません。しかし、包み隠さず共有することがさらなる愛を引き寄せるのです。3つ目は「非難せずに話すこと」です。どんなにつらいことがあって傷ついたとしても、相手を攻撃してはいけません。悪口を言うことは、自分から愛を遠ざけてしまうことになります。4つ目は「文句を言わず楽しむこと」です。「愚痴や文句」は言おうと思えばいくらで
も言えてしまうものです。でもずっと文句ばかりを言っていたら、楽しい気持ちでいることはできません。人にも環境にも優しく接し、目の前の出来事を楽しむことが大切です。最後は「他者に惜しみなく与えること」です。何かを人に与える時、つい自分の分を残してからにしたり、あげても特に自分が困らないようなものをあげたりしていませんか?愛を伝え、自分にも愛を引き寄せるには、物にしても気持ちにしても、見返りを求めずに、まず自分から全てを与えることから始めなければいけません。
 私は、愛とは、他人の命を救うような仰々しいことだけではないと思います。今、皆さんに伝えた5つのことを心がけて行動してさえいれば、自分や他者の周りに愛があふれていくのではないでしょうか。卒業していく3年生、これからも自分の周りに優しさと微笑みの絶えない『愛』がいっぱいの環境を作っていってください。

1/21(金) 朝礼のことば

皆さんは、昨年のクリスマス祝いのキャンドルサービスで流れた曲の歌詞を覚えていますか。

「キリストの平和が私たちの心のすみずみにまでゆきわたりますように。」

私たちが平和について考えるとき、本当に実現させなければならないのは、「キリストの平和」ではないでしょうか。では、「キリストの平和」とは、いったいどんなことでしょう。それは、私たちが互いに愛することに他なりません。私たちが互いに愛し合うなら、そこに「キリストの平和」が実現します。以前、東日本大震災の復興支援ボランティアに参加した時、ある若者が次のような話をしてくれました。

「自分は、ボランティアを通して、多くの人と関わりができました。そして、ここに来て何よりもうれしかったことは、今の自分を必要としてくれる人がいたということです。」私はこの話を聞いたとき、ハッとさせられました。人は、知らない人と関わりを持つことで、他人への思いやりや優しさを身につけることができ、さらに自分自身をも見つめなおすことができるのではないでしょうか。そして、何よりも自分が誰かに必要とされていることに気づき、幸せな気持ちになれるのではないでしょうか。

毎日、何気なく暮らしている私たちは、日々の生活の中で「自分を必要としている人がいる」ことに気づかないことが多いと思います。家族とともにいるとき、学校で友達と一緒にいるとき、職場で、地域社会で、「あなたを必要としている人」がきっといるはずです。挨拶をしない人に対して文句を言う前に、自分の方からその人に笑顔で挨拶をしてみてはどうでしょう。きっとそこに小さな「キリストの平和」が実現すると思います。高3の生徒の皆さんはもうすぐ卒業です。この3年間、萩光塩学院で学んだキリスト教の精神を、これからはそれぞれの新しい場所で大いに発揮し、日々の生活を通して互いに愛し合い、小さな「キリストの平和」を積み重ねていってほしいと願っています。

11/26(金) 朝礼のことば

23日のお菓子販売会は、寒さと冷たい雨の中を、皆さんの作った光塩ビスケットやマドレーヌを求めて、たくさんのお客様がおいで下さいました。「来年こそバザーができるといいですね。楽しみにしています」、「来年も必ず来ます」という声を数多くいただきました。

 ところで、私は1日に行われた70周年記念式典のために、11人のメンバーで、70周年記念誌の制作に取り組みました。誰も制作の経験が無く、期間も限られている中、手探りのスタートでした。何も無いところから、協力して1つのものを作りあげるのは、大変な作業でしたが、楽しさと面白さもあり、出来上がった記念誌を見た時は、達成感を味わうことができました。ぜひ皆さんにも記念誌を見てもらいたいと思います。70年の歩みは決して平坦なものではなく、多くの方々の努力と協力で、さまざまな困難を乗り越えてきたこと、光塩が一貫して目ざしてきたものは何かなど、よくわかると思います。

 私が一番印象に残っていることは、常に議論していたことです。話し合うことで、自分の考えを深め、相手の考えを理解し、意見が違っていても次第に歩み寄り、正しい結論に到達することができました。話し合えば話し合うほど、よいアイデアが生まれ、内容も充実していきました。記念誌を通じて、改めて解った事が2つあります。1つ目は、光塩が多くの方々から愛される学校だということ、2つ目は学校の主役は生徒のみなさんだということです。私の最初の仕事は、記念誌にメッセージを書いて下さるように、電話でお願いすることでした。皆さん即座に承諾して下さり、中には、初めてお話したのに、昔からの友人のように、一時間近く光塩の思い出話で盛り上がった方もいました。世代が違っても、面識がなくても、光塩と関わりがあったというだけで、1つになることができる。「光塩ファミリー」という言葉を実感しました。また、記念誌の中の生徒たちは、いつの時代もはつらつとして、若者らしい魅力にあふれていました。皆さんと同じように、夢を持ち・学校生活を楽しみ・時には悩み・成長していったのでしょう。

 ところで、次の記念式典は、今から30年後の100周年だそうです。その時も、記念誌が制作されることでしょう。そのページに、皆さんも光塩の歴史として登場します。現在の皆さんが、どんな風に記録されるのか、楽しみです。

11/19(金) 朝礼のことば

 今日は来月のテーマである「感謝」について話したいと思います。感謝するときに使う言葉といえば「ありがとう」ですね。私はこの言葉を毎日、何度も何度も使っています。

  何かをもらったとき、「ありがとう」

  助けてもらったとき、「ありがとう」

  褒めてもらったとき、「ありがとう」

  心配してもらったとき、「ありがとう」

  間違いを指摘されたり、指導を受けたりしたとき、「ありがとう」

 どんな場面でも使える、とても便利な言葉です。みなさんもよく使っていると思います。

 では、この言葉、漢字で書くとどう書くでしょう。「ありがとう」は「有る」ことが「難しい」と書きます。ということは、私たちが「ありがとう」と言っている場面は、実は「それが起こることすら難しい」ということになります。そのような場面に出くわすこと自体が当たり前のことではなく、尊いこと、だから感謝すべきということなのです。

 学校生活の中では、うれしいこと、楽しいこと、悔しいこと、悲しいことなど、色々なことが起こります。その中で、誰かに助けてもらったり、怒られてもそれが自分を成長させてくれるきっかけとなったりします。私たちの生活の中で、「ありがとう」を使う場面はたくさんあります。小さなことにもしっかりと感謝をしながら過ごすようにしましょう。

11/11(月) 朝礼のことば

11月1日(月)は70回目の開校記念日でした。今年初めてミサに参加した中1、高1の皆さんは、ミサとは、何か?何を行っているのか?理解するのは難しかったかもしれませんが、白浜司教様のお話しの中で、創立者マドレ=マルガリタが光塩に入学してきた皆さんに何を期待し、どういう生徒に成長して欲しいと願って学校を創られたのか、そのことは理解できたと思います。学院の創立を記念することは、ただ過去の伝統を守っていくだけでなく、これからの新たな出発を祝う節目の日でもあります。これからも生徒の皆さんによって光塩の精神、良き伝統が引き継がれていくことを願っています。今年は70周年を祝う記念式典も行い、その式典にはメルセス会のシスター方や姉妹校の理事長、園長先生、旧教職員や地域の方々、そして学校関係者が多数参加されました。式典の後、参加された方から「光塩の生徒の挨拶や態度がすごく良かった。ミサの中で、みんなで歌ったハレルヤコーラスはとても素晴らしく圧巻だった。」とお褒めの言葉をたくさんいただきました。ここ数年は、中学・高校の3年生が中心となって大きな歌声を響かせています。3年生が、先輩として一生懸命歌う姿を後輩に見せ、良いお手本となることで、何もわからなかった1年生が、2年生3年生と進級するにつれ、憧れの先輩に近づこうと成長し、良い伝統が守られていきます。私は、毎年この歌声から、皆さんの純粋さと力強さを感じ、これからの光塩にも大きな希望を見つけることができます。1年生、2年生の皆さん、来年もそして再来年も今年のミサや式典の中で見せたきちんとした態度とあの素晴らしい歌声を期待しています。

また今月23日には光塩バザーに代わる『お菓子販売会』があります。伝統のビスケット作りも本格的に行われています。毎日の授業の中で、感謝の思いを込めて一生懸命作っている皆さん、ありがとうございます。またそれだけでなく、授業ですぐにビスケット作りが始められるよう、朝早くから生地作りを手伝ってくれている人や昼休み返上で手伝ってくれている人、本当にありがとうございます。自ら進んで仕事を手伝う姿こそが本当の意味の奉仕であり『自分のまわりに喜びと光をまく人になる』ということです。光塩バザーの由来は既に皆さんも知ってのとおり「自分たちの学校を自分たちの手で作っていこう」と始められたものです。私立学校は、保護者・卒業生・地域の方々の支えがあって成り立ち、光塩でそれを一番感じることができるのがバザーであり、今年でいうお菓子販売会です。今ここにいる私たち在校生や教職員が、一番にそのことを理解し、自分の利益を優先せず、卒業生やOBの先生方、地域の方々以上に奉仕の精神をもって協力しなければいけません。そのことを胸に刻んでもう少しの間ビスケット作りに励んでください。

最後に今月の学院のテーマは『希望』です。現在のようなコロナ禍で先が見えない時こそ『希望』という言葉の本当の意味や温かさを知ることができます。

私たちは、『希望』という言葉を聞くと、まず個人としての望みが叶うことを思い浮かべますが、今月はそれだけでなく、もう少し広がりをもって、クラスとして、学校として、社会としての希望をみつけていく月にしたいと思います。私たちは、嫌なこと苦しいことがあるとすぐに絶望的なことを考えてしまいますが、そんな時ほどみんなが必ず持っている「希望の光」を信じ、前向きに努力していくことが大切です。今は新型コロナという感染症のために、気持ちも沈みがちになってしまいますが、決して希望を失わず、コロナ後の世界が充実したものになるよう、一人ひとりが今できることを考え、努力していく月にしていきましょう。

10/22(金) 朝礼のことば

2学期中間試験が終わりました。帰ってきた答案みなさんはどうしていますか。ロッカーやかばんの中にくしゃくしゃになって入っている人はいませんか。

整理整頓が苦手という人はたくさんいると思います。私も苦手です。今日は整理整頓について話をしようと思います。

整理整頓という言葉は整理と整頓をあわせた言葉です。「整理」と「整頓」は、どちらも乱れたものを整えるという意味がありますが、整理は、不要なものを取り除き、ものを減らすこと。整頓は、正しい位置にきちんと置くことです。つまり整理整頓とは、必要なものと不要なものに分け、いらないものは捨てて、必要なものを使いやすい場所に置くということです。

では、整理整頓をするメリットは何でしょうか。学習面で考えてみましょう。

1つ目は、時間を有効に使えるということです。勉強しようと思って必要なプリントやノートをいざ出そうと思ったら見つからないという経験をした人、いるのではないでしょうか。整理整頓できていれば自分でどこに何があるかわかっているので、必要なものがすぐに取り出せます。この探す時間を短縮することで、自分が本来やりたいこと、つまり学習の時間が増え、その分、余裕をもって取り組むことができます。

2つ目は、集中力が増すということです。机の上に不要なものがおいてあると、そちらに目が行ってどうしても気が散ってしまいます。勉強しているとき、ふとスマホや漫画が目に入り、その誘惑に負けた人もいると思います。もともと目につく場所に置いていなければそんなこともありません。

整理整頓ができている人が勉強もできると、そんな単純のことではありませんが、普段から整理整頓ができていると、集中して物事に取り組むことができ、精神的にも余裕がうまれます。余計なストレスを感じることもなく、気持ちよく自分がやるべきことに取り組むことができるのではないでしょうか。

 整理整頓が苦手な人は急にやろうと思っても難しいかもしれませんが、毎日少しずつでも身のまわりのものを整理整頓することを心掛け、毎日、みんなが気持ちよく過ごせるようにしていきましょう。

10/8(金) 朝礼のことば

 ここ数年、コミュニケーションをとることが苦手、という声をよく聞きます。苦手と感じている人に質問します。自分からすすんで挨拶をしていますか?挨拶は他者とコミュニケーションをとる上で、きっかけとなる言葉です。1学期の終わり、校友会長の福島さんがあいさつについてみなさんになげかけたことを覚えていますか。私は、朝、自転車置き場周辺に立って、自転車の整理やあいさつをしています。今年度、自分からすすんであいさつをする生徒が減っているように感じています。私が真横にいてもあいさつをしない生徒、目が合ってもあいさつをしない生徒。逆に私の姿が見えたら遠くからでも大きい声であいさつをする生徒。笑顔で自分からすすんであいさつをする生徒。どちらがコミュニケーション上手と言えるでしょうか。

 ちょっと硬い挨拶の意味についてお話しします。「挨拶」という漢字を思い浮かべてください。「挨」という漢字は「打つ・押す」という意味を、一方の「拶」は「近づく・進む」という意味を持っていますので、本来「押して進む・押して近づく」という意味の熟語らしいのです。これを簡単に解釈すると、挨拶する側もされる側も心を開く。お互いが心を開いて近づき、人間関係を築いていく第一歩、というような意味になるのです。

 挨拶が大切な理由は、大きく3つあげられます。

1、常識のある人という評価を得られる

 挨拶が出来ない人は、常識のない人とみなされて社会的な評価は低くなります。逆に挨拶さえしっかりできれば、第一印象はクリアです。

2、相手からの印象がよくなり、人間関係がよくなる

 挨拶をすることは自らの心を開き、相手を認めるということになります。相手のことを認めるということは、相手だって嫌な気持ちはせず好意的に接するようになります。よって自然に人間関係がよくなります。

3、相手との会話のきっかけになる

 挨拶を続けていると、そこから会話が生まれていき、相手とのコミュニケーションのきっかけになるはずです。

 そして、よりよいコミュニケーションとなる挨拶の方法とは、「笑顔で、相手の目を見ながら、自分から挨拶する」です。せっかく挨拶しても、表情が暗ければコミュニケーションの妨げになってしまうかもしれません。相手の目を見ないで挨拶するのは、無理やり挨拶をしていると思われてしまい逆効果になってしまいます。自分から挨拶することは相手への好意や積極性を感じさせ、好印象を与えます。一人ひとりがもう一度、あいさつの大切さについて考え、すすんであいさつができる人が増えることを願っています。

10/1(金) 朝礼のことば

朝晩、めっきり涼しくなり秋の気配が感じられるようになりました。また長かった新型コロナウイルスの緊急事態宣言、まん延防止等重点措置、そして山口県で発令されていたデルタ株感染拡大防止集中対策期間がやっと終わり、気持ちも少し楽になりました。しかし、宣言が解除されたからと言って、コロナが終息したわけではありません。基本的な感染防止対策は続けながら、これからも安全な学校生活を送っていかなければいけません。秋は、「おいしい旬の食べ物」「美しい景色」「教養を深める面白い本」などいろいろ楽しむものがあります。ちょっとだけ気持ちを楽にして、密を避けながら秋を楽しむ時間を見つけてみましょう。
さて、今月の目標は「信頼」です。私たちは時々「あの人は信頼できない」「あの先生も信頼できない」、「私のことを信頼してくれない」と言ってしまいます。「信頼」は人とのかかわりや繋がりを前提としているので、このような良い人間関係は一日や二日でできるものではなく、毎日の生活の中でお互いが努力し、育て、作り上げていくものです。他者から信頼されるようになるには、日々の積み重ねが大切で、そのためには言葉できちんとコミュニケーションをとることが求められます。自分の考えや思いを正しい言葉で伝えられるよう一人ひとりが意識し努力してください。信頼を得るということは本当に難しいことで、そのためには、常に正直で、時には自分を犠牲にし、人のために尽くさなければいけません。日々のかかわりの中で、失敗や間違いがあれば素直に謝り、また謝ってきた相手を許すことができれば、お互いに良い関係が生まれてきます。逆に言えば、そのように努力して一度築いた信頼関係はちょっとのことで崩れるものではないはずです。しかし、最近の生徒同士のトラブル事案を聞いていると、間違った情報や噂話を信じて、それに振り回わされ、本人同士が直接話しをする前に相手を責めるケースが目立ちます。上手にコミュニケーションがとれていない証拠です。学校は、友達や先生方など生きた人とのかかわりの場です。毎日のかかわりの中で「信頼」という言葉の意味を、そして「生き方」を確認する10月にしてください。
 次に、昨日今年度の光塩バザーの中止をお知らせしました。このバザーは学校が開校して3年目、今から67年前に当時の新校舎である円型校舎を建てることを目的に始まりました。今から67年前といえば、日本が第二次世界大戦で敗れてまだ10年しかたっていない頃です。当時は敗戦直後で国全体が貧しく、新しい校舎を建てるということは難しい時代でした。そんな時、姉妹校のスペインやメキシコの生徒たちが、萩の学校建設のためにおやつを我慢したり、小さなバザーを開いてお金を集めたりして協力してくれました。このことを聞いた当時の萩光塩の保護者や生徒が、自分たちも「学校のために何かしよう」と、この光塩バザーが始まりました。今では、多くの方々の協力を得ながら、地域の一大イベントになっています。伝統の光塩ビスケットを購入するために毎年多くの人が長蛇の列を作ります。それほど地域の方々に愛されてきた光塩バザーを2年続けて中止することは、本当に残念で苦しい決断でしたが、生徒や協力してくださる皆さんの安全確保、そして現在の地域の経済状況などを考えての決断です。バザーは、本学院の建学の精神、奉仕の精神を具現化することができる大切な行事で、教育的にも大きな意味をもっています。今年も生徒の皆さんが、ビスケット作りやマドレーヌ作りをとおして光塩の精神を継承し、来年のバザーに繋いでくれること、また地域への感謝の気持ちを表わすことを目的として『お菓子販売会』を実施します。形は変わっても皆さんにできることはたくさんあります。自分に何ができるかを考え、これから始まるビスケット作りに、まじめに取り組んでください。
最後に、9/24のメルセス会のお祝い日に、世界中の姉妹校同士でお祝いメッセージを交換しようという企画がありました。既にたくさんの姉妹校から動画が届いています。日本語訳を入れたものを皆さんに見せたいと思っていますので、楽しみにしていてください。

9/24(金) 朝礼のことば

9月1日から本校で教育実習をされている赤川潤平先生の実習が今日で終わりとなります。赤川先生、お疲れさまでした。

あっという間の3週間でしたが、皆さんは赤川先生といろいろ話をすることができたでしょうか?今日1日は学校にいらっしゃいますので、ぜひ生徒の皆さんの方から話しかけてみてください。水曜日には赤川先生の保健の授業を見学しました。あまり緊張した様子もなく堂々と授業をされている姿はとても頼もしく見えました。私もおよそ15年前に教育実習で多くの先生に授業を見ていただきましたが、とても緊張したのを今でも覚えています。

さらに大きく違っていたことがもう1つありました。それは、「授業中に板書をしなかった、つまりホワイトボードに文字を全く書かなかった。」ということです。大事なことを教員がホワイトボードに板書し、生徒はそれを写す、授業といえばそれが当たり前の光景でしたが、赤川先生はパワーポイントを使いながら授業を展開しておられました。また調べ学習では、タブレットを使って必要な情報を収集していました。今でこそこのような授業スタイルが当たり前になりましたが、当時はこういった授業風景を想像すらしていませんでした。光塩では、私を含めほぼ全ての先生が何かしらのICT機器を使っての授業に切り替え、視覚的にも分かりやすい授業づくりに取り組んでいます。生徒のみなさんにも一台ずつタブレットが貸与されており、いろいろな場面で活用しているのを目にします。行事の振り返りやクラス動画づくり、プレゼンのためのスライドづくりなどでは特に大活躍していますね。

多くの機能を使いこなしているみなさんですが、タブレットに入っているすべてのアプリを自分で試しに使ってみたことはありますか?学習の助けになるものもあり、「Google Earth」は国の位置や有名な建造物の外観など、地理的なことを学べますし、「Classi」のWebドリルや学習動画機能は、自分に合った学習を進めることができます。興味をもって様々な機能を使ってみれば、必ず新たな発見があり、今後の学校生活にプラスになるでしょう。本校にはタブレット活用のルールがありますので、学校内では自由に使うことはできませんが、家に帰ってから携帯を使う毎日の1時間でも、30分でもタブレットのこういった機能を使う時間に変えてみませんか?「探求心」と「ICT機器を有効に活用できる力」で、視野を広げてほしいと願っています。

9/17(金) 朝礼のことば

 最近、朝晩が涼しくなり、ずいぶん過ごしやすくなってきました。「○○の秋」とよく言いますが、人によって「食欲の秋」や「スポーツの秋」、「芸術の秋」など、それぞれの好きなことをゆっくり楽しむのにちょうどよい時期ではないでしょうか。私の場合はもっぱら「プラモデルの秋」ではありますが、今日は「読書の秋」にちなんで「読書」ついてお話ししたいと思います。

 世間では「読書」と言うと「小説を読むことだ」と思われがちです。しかし、試しに学校の図書室に行ってみてください。小説以外にも実に様々な書籍があることに気づくことでしょう。つまり本を読むことは、「小説」を読むことに限られたことではないのです。そう考えてみると、小説を読むことに苦手意識があって読書から遠ざかっている人も、読書に取り組みやすくなるのではないでしょうか。

 ちなみに私は小説だけではなく、文庫本よりも縦長の「新書」と呼ばれる本も読むようにしています。新書は専門的な分野のことを、一般の人にも分かりやすいように解説されているため、入門書として最適です。心理学や人間関係について書かれたものは、日常生活を送るうえで私もずいぶん参考にしています。学校の図書室では岩波ジュニア新書シリーズを毎月購入していますが、アニメやアイドルなど皆さんにもなじみのある文化について書かれたものが多数あります。ぜひ一度、自分の興味が引かれるものがないか本棚で探してみてください。きっと「読書の秋」にふさわしい一冊が見つかるのではないでしょうか。

9/10(金) 朝礼のことば

先日の体育祭はとても楽しいものでした。特に、私が印象に残ったのは応援合戦です。2日の日に初めて見た応援合戦は、まだまだ未完成な部分がたくさんありました。しかし、体育祭の前日、そして当日と、どんどん新しいものを加え変化していき、全員が生き生きと踊り、見ているみんなが盛り上がる応援ができあがりました。あんなに短期間で応援を作り上げることができたのは、応援団員のアイデアや指導力、そして全員の、よりよい応援をみんなで協力して作っていこうという一致団結した強い気持ちがあったからだと思います。本当によい応援合戦でした。

私の好きな言葉に「為せば成る」というのがあります。皆さんもよく知っている言葉でしょう。もとは「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉ですが、「どんなことでも強い意志を持って行えば必ず実現する、結果が得られないのは成し遂げる意思を持って行動しないからだ」という意味です。努力すれば何でもできるとは、思いません。いくら努力してもできないことはたくさんあります。しかし、まず始めてみないことには何も実現しません。できるかどうか悩んでいるよりもまずやってみようという気持ちが、物事を前に進め、実現につながっていきます。サムライマックのコマーシャルでも「挑戦で大事なことは、できるかできないかじゃない。やるかやらないかだ。」と言っています。

体育祭の応援合戦はまさに「為せば成る」でした。体育祭が終わり2学期の授業が始まりましたが、もっともっといろんな場面で「為せば成る」が見られることを期待しています。

7/2(金) 朝礼のことば

来週から学期末試験が始まります。中学校・高校の3年生にとっては、1学期の試験結果が、今後の進路先決定の大きな判断基準となります。特に高校3年生は、この学期末試験までで進学・就職のための成績が決まります。希望の進路、夢を実現したいなら、体調管理も含めて、言い訳は一切せず、必死に学習に取り組んでください。結果はすごく大事です。しかし先生方は結果だけでなく、皆さんの取り組みや頑張り方も見ています。今回の試験では、高3の皆さんの頑張りに期待しています。

さて、今月の学院のテーマは『喜び』です。今日は最近、私が感じた『喜び』について話したいと思います。3週間前の昼休み、中学校の給食の様子を見終わって校長室へ戻ろうとしていた時のことです。私は、3号館の2階から本館の2階に移動し、中央階段を降りていました。その時、私の前に、紙袋を持った高2の男子たちがいました。高校生は弁当を食べている頃だったので、私は「弁当かパンが入った袋を持っているのだろう」と思っていました。しかしよく見ると、彼らが持っていた袋には小さな紙が貼ってありました。私はそれを見て、男子生徒が持っていたものは、以前宗教委員会が呼びかけていた「ほしの家への支援物資」だということに気づきました。

『ほしの家』とは、日雇い労働者などが多く住む東京の山谷地区にある支援施設のことです。ここでは、病気で体を壊したり、労働災害などで障害者となったり、高齢化などで日雇労働ができなくなったりした人たちを支援しています。代表者はメルセス会のシスターです。宗教委員会では、コロナ禍でもできるボランティア活動として、生活に困まっている人たちのために支援物資を送るための協力を呼び掛けていました。

私は、この生徒たちが〝全校放送やクラスで、宗教委員から呼びかけられたことをちゃんと意識して聞いていたこと″〝その趣旨を理解し支援物資として何が必要なのか、教室に掲示してあるプリントで確認したこと″〝そしてそのことを家に帰って家族に伝え用意してもらったこと″〝保護者の方も気持ちよく協力してくださったこと″〝それを学校に持ってきて自ら支援物資の箱に入れたこと″など、この活動に協力するための一連の流れを想像したとき、「この生徒たちはすごいな‼」と思い、大きな『喜び』を感じました。高2の男子だけではありません。呼びかけた宗教委員会の人も率先して協力していたし、他にも多くの人が協力してくれました。率先してこのような行動をすることは本当に難しいことで、社会の様子や周りの出来事に関心を持たず自分のことしか考えられない人、自分の利益ばかりを優先する人にはできないことです。自分の知らない他者のために行動することは、その人たちの境遇を想像し、その人たちのために心が動かされないと行動することはできません。光塩では『世の光・地の塩』という建学の精神に従って、他者のために行動し、他者を大切にすることを教えています。口だけ、言葉だけできれいごとを言うのは簡単ですが、自ら考え、手本となる行動ができたことは本当に素晴らしいことです。今回は、宗教委員会の呼びかけに協力してくれた生徒の皆さんの姿から、改めて大切なことに気づかされ、気持ちの良い『喜び』を感じることができました。

私は『喜び』とは、嬉しいこと・楽しいことだけでなく、心の奥から出てくる「安心感や充実感」だと思っています。他者のために行動した人は、きっと後から大きな安心感や充実感を味わうことができるはずです。生徒の皆さんは、今自分にできること、しなければならないことに誠実に取り組み、目標をもって行動していくことこそが、今後の『喜び』につながっていきます。今月は、他者を思いやり、他者に喜びを与えるとともに、自分の将来の『喜び』に出会うことができるよう取り組んでいきましょう。

6/25(金) 朝礼のことば

 私が好きな言葉に「明日できることは今日するな」というのがあります。例えば土曜日、やらなければいけないことはあるが、「明日日曜日にやればいいや」と言って、土曜日はのんびり過ごす。そして、日曜日になると面倒くさくなって「明日でも間に合うからいいか」と言って月曜日にやることにする。月曜日になるとまた面倒くさくなって結局やらない。そして、そのうちやらなければいけないことがいっぱいたまって何もできなくなる。皆さんもこんなことがよくあるんじゃないかと思います。私もそんな一人です。これは、そんな面倒くさがりの人にぴったりな言葉、ではありません。

「明日できることは今日するな」というのはトルコのことわざで、この言葉を紹介した作家の遠藤周作は、「今日の仕事をやり終えたならば、その後は愉快に遊べ、愉快に人生を楽しめ、明日の仕事までガツガツ、今日のうちにやるような奴は結局出世しても、人間として損なのだという意味なのであろう」と説明しています。

また別な人は、「明日できることはそこまで緊急なことではない。そんなことをあれこれ考えるよりも、今日は今日しなければいけないことに集中すればよい。」といった解釈をしています。

どちらも仕事を先延ばしするのではなく、今日やるべきこと、明日でもいいことをしっかり管理して、今日やるべきことは今日きちんとやり終えることが大切だと言っています。明日でもよいことに煩わされないようにして余裕を持って毎日を過ごせるようにしたいものです。

来週から試験週間になります。1日1日やるべきことを整理して着実に行い、余裕を持って期末試験が受けられるよう頑張っていきましょう。

6/18(金) 朝礼のことば

 皆さんは覚えることは得意ですか?私は、覚えることが苦手です。学生時代に特に苦戦していたのは社会で、教科書をまとめる、暗記カードを作る。年表を自分なりに作ってみる。教科書を1章ずつ音読し、「睡眠学習」と言いながら寝る時にずっと聞いていたり、一夜漬けをしてみたりと様々な暗記法に手を出し、なんとか試験に臨んでいました。しかし、嫌々覚えたことは、テストが終わるとすぐに忘れてしまい、受験勉強の際にまた苦労するはめになったことを覚えています。逆に、得意だった教科は理科です。生物・化学は特に大好きで、教科書を隅から隅まで読みふけり、気になったことは図鑑で調べて勉強をしていました。不思議と、自分の興味あることは苦労せずに覚えることが出来ていたのですが、皆さんはどうでしょうか?

苦手なことも、得意なことと組み合わせると、少し楽に覚えられることに味を占めた私は高校時代大好きな漫画や小説の世界、洋楽に助けてもらいながら沢山の試験勉強を乗り越えてきました。「リョウ」「あさきゆめみし」「炎のミラージュ」などが特に好きで良く読んでいたものです。好きな洋楽の日本語訳を見ながら英単語や発音を覚えたり...。私はほとんどゲームはやりませんが、ゲームの呪文には、英単語を元にしたものも多いことを知っていますか?きっかけさえあって少しでも興味が持てたらこっちのものです!後は、そこから知識をどんどん広げていくだけで、苦手な教科を少しだけ得意な教科に変えることが出来ます。私は、常々知識を蓄えていくのは、脳みそに栄養をあげているようなものだと思っています。人の脳の重さは体重の5%なのに対して、エネルギー消費量は身体全体の約20%程度ととっても食いしん坊で、燃費の悪い器官なのです。脳はいつでも仕事をしていてヘトヘトです。その脳を唯一休ませることが出来るのが、睡眠です。睡眠には脳を休ませる深いノンレム睡眠と浅いレム睡眠(夢を見ている時)があり、レム睡眠の重要な働きの一つに「記憶の固定」があります。記憶の固定とは、日中に記憶した学習や経験を忘れないように脳に定着させることです。就寝時はノンレム睡眠が多く、後半はレム睡眠が多くなるので、徹夜や短時間の睡眠では昼間一生懸命勉強したことが身につかず、記憶の定着や検索が出来なくなるのです。

皆さん!好きなものでしっかりと栄養を与えてあげてください。そして、よく眠って下さい。

明日はいよいよ、1年生にとっては初めての。3年生にとっては最後の文化祭です。部活、文化委員、学年、クラスで一生懸命準備する姿を見てきました。今年の文化祭のテーマはSpecialです。皆さんのSpecialな姿やSpecialな笑顔が見られることを楽しみにしています。

6/4(金) 朝礼のことば

山口県高校総体に出場していた生徒の皆さん、お疲れ様でした。皆さんの活躍は顧問の先生から報告を受けました。特にインターハイ出場を決めた高3の西内さん、楠本さん、高2の榎さん、おめでとうございます。各競技の代表としてはもちろんですが、日々の生活の中でも、山口県の代表として、また光塩の代表として、周りから注目されているという自覚を持って毎日を過ごすようにしてください。インターハイでの活躍も期待しています。また残念ながら試合では負けてしまった人たちも、最後まで全力を出し切ったこと、その姿から確かな成長がみられたことも先生方から聞いています。多くの運動部の3年生はこれで引退となりますが、3年生のこれまでの姿は、下級生の良いお手本となり、皆さんの思いは、2年生を中心とした後輩たちがしっかりと引き継いでくれるはずです。部活動は、試合に勝つか負けるかだけでなく、3年間の厳しい練習を乗り越えたこと、先輩や後輩、友達との人間関係に悩みながらも、最後まで続けてきたことに大きな意味があります。卒業後、厳しい社会に出た時、この経験は、必ず皆さんの力となります。残りの高校生活、又はこれからの人生の中で是非活かしていってください。本当にお疲れ様でした。
さて、今月の学院のテーマは「ゆるし」です。新学期が始まって2か月が経ち、毎日の生活にも慣れてきたと思います。と同時に緊張感が薄れ、気が緩み、年度当初抱いていた目標、1年生は光塩に入学してきた目的も忘れ、次第にわがままが出始めている頃ではないでしょうか。慣れるということは、親しみも増しますが、同時に自分の思いどおりにならないことへの不満も出てきます。私たちは、このように不満を持ち始めると5月の目標であった「かかわり」が上手にできなくなります。そんな不満を持ち始めた時こそ、今月のテーマである「ゆるし」が大切になってきます。私たちは、日頃からたくさんの間違いや失敗をしてしまいます。その時は、人から赦してもらう方法ばかりを考えますが、逆に他人の間違いや失敗には敏感に反応して人を責め、なかなか相手を赦すことができません。人を責めそうになったり不満が口から出そうになったりした時、まずは自分自身を振り返ってみてください。自分は失敗や間違いをしないのか。人を責める資格があるのか。今週の火曜日の朝礼で生利先生から、今月の聖書の言葉である「7の70倍までも赦しなさい」という言葉の説明がありました。これは、人を無限に赦しなさいという意味でした。人を赦すという行為の背後には、私たちも常に人から赦されているという事実があります。それに気づくことができれば、少しでも相手を赦すことができるようになるのではないでし
ょうか。

ノートルダム清心女子大学の元理事長シスター渡辺和子さんは、「ゆるし」について次のようにも話されています。「人間は弱いものです。口ではきれいなことを言っても、なかなか体がついていかないことがあります。自分の敵を頭ではゆるしても、体がいうことを聞かないということもあります。そんなときは、相手を愛せなくても、せめて相手の不幸を願わないことです。」シスター渡辺が言われるとおり、「ゆるす」ということは非常に難しいことです。ですが、人の不幸を決して願わず、そして少しずつ赦せる人になれるよう努力することが大切なのです。シスター渡辺の人生を知ると、よりこの言葉の重みが理解できるので、是非調べてみてください。改めて自分自身を見つめてみると、どれほど周りの人から赦されていることが多いか気
づかされます。学校や仕事のことであれ、人間関係のことであれ、家族の中においてであれ、生活のどの局面でも赦されていないと私たちの生活は成り立ちません。
今月は、多くの人とかかわる時、相手を責めたり貶したりするのではなく、相手を赦しながら、良いところをみつけられる人になるよう努力していきましょう。

5/28(金) 朝礼のことば

 中間テストが終わり、1週間が経ちました。ほっと一息つきたいところですが、再来週6月8日(火)は第一回英単テスト、そしてその後に漢字テストと期末テストがあります。先週の朝のお話にもありましたが、復習はとても大切です。英単語や漢字を覚えるのも復習の積み重ねです。点数という結果ではなく、自分の学力向上を目標にして頑張ってください。

 

今日は、私の小さな喜びについて話したいと思います。私は今年初めて、自分の担任するクラスを持っています。まさか自分が担任を持つ環境になるとは思ってもいなかったので、不安いっぱいでした。それは実は今も変わっていません。何が正解か分からず毎日が手探り状態で、けれどみなさんの成長に寄り添いたいと必死な日々です。いろんな先生方に分からないことを教えていただきながら、バタバタと時間が過ぎています。ただ、そのバタバタの中に、日々幸せや喜びが転がっていることを少しずつ実感できるようになり、それに気づくことのできた自分にまた嬉しくなり、幸せの連鎖が自分の中で勝手に起こっています。自分でも単純な人間だなぁと思います。「提出物がみんな揃った!」「服装を注意したあの子が、今日はちゃんと身だしなみを整えている!」「朝のお祈りの前にみんなが自分たちで立って静かに待っている!」「教科担当の先生から、クラスの授業態度を褒められた!」すべて出来て当たり前のことなのかもしれません。けれど、子どもも大人もできないことがあって当然です。そして、人にはできているのに自分にはできないと、他人と比べることもあります。自分と相手の思いが違ってぶつかることも、悩むこともあります。ただ、その悩みの中でとどまり続ける人はあまりいないように思います。少なくとも、私が萩光塩学院で出会った人たちは、成長のスピードの違いはあっても、みんな前を向いて進み続け、お互いを受け入れていて、すごいなぁ、私も頑張ろう、と思わせてくれています。誰かの小さな一歩は、本人だけではなく他人にとっての喜びにもなり、幸せを運んでくれます。小さな喜びを見つけられれば、それが次第に大きな喜びへとふくらみます。

私が萩光塩学院で最初に感じた喜びは「出会い」でした。「今」「この場所」でなければ出会うことのなかった人たちと時間を共有し、刺激を与えあい、優しさに触れ、そして互いに成長していけることに喜びを感じながら、一緒に素敵な思い出を作っていきたいですね。

5/21(金) 朝礼のことば

おはようございます。

中学生は一昨日、高校生は昨日で、今学期初めての定期試験が終了しました。1週間の長い試験週間が終わりほっとしている人や、部活動の再開にわくわくしている人、そして試験の結果が返ってくるのにドキドキしている人もいることでしょう。

 さて、今日皆さんにお話しすることは、「復習」についてです。試験が終わった後、返却された答案用紙を皆さんはどのようにしていますか。採点ミスがないことを確認したらその時間きりで、自分の解答の見直しをあまりしていない人をよく見かけます。これは非常にもったいないことです。試験の答案からは、自分の得意な所、苦手な所、さらにもっと伸ばしていかなければならない部分を知ることができます。返ってきた答案用紙をしっかり見直し、自分の弱点を分析し、次の小テスト・定期試験に生かしてほしいです。

 「復習」は普段の学習においても非常に重要なことです。ドイツの心理学者であるエビングハウスという人が提唱した「エビングハウスの忘却曲線」という有名な実験があります。エビングハウスの実験では、子音・母音・子音の無意味な3文字単語を記憶しその再生率を研究したものです。この研究によると、記憶後人間は20分後には42%、1時間後には56%、1日後には74%、1週間後には77%、1か月後には79%の記憶を忘れてしまうことが明らかになりました。記憶後1日で急激な忘却が起こるが、その後の忘却は緩やかになること、学問などの体系的な知識や意味のある単語では、より緩やかに忘却が起こなどのことも考えられているそうです。この実験の結果から、1時間後には記憶したものを半分以上忘れてしまうことが分かります。せっかく勉強をしたとしても復習をしなければすぐにほとんどの記憶を忘れ去ってしまうのです。復習を行わない人は、穴の開いたバケツに水を注いでいるようなもったいないことをしてしまっているのです。また、復習は繰り返すことで長期的に記憶に残りやすくなり、本当の学力が身につくようになります。

 「復習」の重要性を理解して、日々の授業、定期試験を大切にしていってほしいです。

5/14(金) 朝礼のことば

5月も半分近くが過ぎました。今日の聖歌の歌詞にもあるように「風薫る」さわやかな季節ですが、学生の皆さんにとっては、中間試験のある、これまでの学習の一区切りの時期
でもあります。試験に向けて、勉強は進んでいるでしょうか。
 学生時代は私も試験を受ける立場でしたが、教員になり、試験を作るようになって強く感じたことがあります。それは試験も「コミュニケーション」だということです。試験問題を作るとき、皆さんの顔が浮かびます。社会に出る前に、この漢字は読めてほしい、書けてほしい。この問題は解けるだろうか。この問いにはどんな解答をしてくれるだろうか。「ここは絶対に出す」と言ったから、皆正解してくれると嬉しい......。
 そして、提出された答案を採点しながら、やはり皆さんのことを考えます。よく勉強しているな、と嬉しくなったり、授業での説明が伝わっていなかったのか、と悲しくなったり、反省したり。ケアレスミスには「もったいない!」と悔しくなったり。
 新しい学年になって初めての定期試験なので、受けたことのない教科や先生のテストがあり、不安に思っている人もいるかもしれません。私も、今年度はほとんどが初めて担当するクラスなので、どきどきしています。でも同時に、楽しみでもあります。普段のやりとりや授業での、直接的な会話とは異なりますが、字や答え方など、テストの答案には「その人らしさ」が出ます。試験というのは、皆さんのことを知れる機会でもあるのです。
 勉強が好きな人、得意な人、嫌いな人、苦手な人、それぞれだと思いますが、定期試験は、これまでの学習を見直し、まとめて次につなげる大切なものです。自分なりの方法で、試験の時に答えやすいように、たくさん話をすることができるように、勉強を進めていってください。
 そして、問題用紙、答案用紙が配られたら、難しいと思っても、「いやだ、わからない」とあきらめて何も書かないのではなく、何が大事なのか、聞かれていることは何なのか、耳を澄ませて、勉強の成果を答案用紙にしっかりと表現してください。試験を通しての、皆さんとのコミュニケーションを楽しみにしています。

4/23(金) 朝礼のことば

 学力向上の進化の過程、つまり学力向上には3つの段階があると言われています。第1段階は、見たり聞いたりして学ぶ。日頃の授業で先生の説明や板書を見て学ぶ事です。第2段階は、体験して学ぶ。つまり、自分で問題を解いたり、理科の実験や家庭科の実習、体育の実技を通して学ぶことです。第3段階は、自分が理解したことを友達や人に伝える事、と言われています。

 それでは、具体的な問題で、試してみましょう。「メモリのない、5ℓ と3ℓ のビーカーがあります。水を入れたり移したりしながら4ℓの水を量りなさい。」どうでしょうか。今、みなさんは頭の中でビーカーに水を入れたり移したりしながらイメージで考えていることと思います。そこで、はじめに話した学力向上の段階に従って確認をしましょう。第1段階、わからない人は、わかった友達から聞いて理解するようにしてください。第2段段階、聞いてもよくわからない人は、理科の先生にお願いして、理科室のビーカーで実際に体験しながら考えてみるのもよいでしょう。第3段階、理解できた人は、わからない人が納得できるよう説明してみてください。説明の仕方をいろいろ考えるうちに、その問題に対する理解度が増し、学力は10倍伸びると言われています。このようにして、すべての教科、すべての学級、学院全体で、コロナ感染防止に気をつけながら学習に取り組んでいき、学力向上が図られることに期待をしています。

 さらに、社会人として自立に求められる知識や能力を「見て・聞いて・体験し、教えてお互いが学び、身につけることを通して、一人ひとりが夢や希望を実現できる、すばらしい学院にしていきましょう

5/7(金) 朝礼のことば

緑の美しい季節になりました。今年もコロナの影響で、不要不急の外出を自粛しなければいけないゴールデンウィークとなりましたが、皆さんはどのようにこの連休を過ごしたでしょうか?ゆっくり休んで新年度の緊張感からくる疲れをとった人、部活づけの毎日だった人、家の片づけや掃除など普段できない手伝いを積極的に行った人。それぞれ工夫した休みを過ごしたことと思います。5連休で心も体も学習モードになっていないかもしれませんが、今日からもう一度気持ちを切り替え、緊張感をもって学習に取り組んでください。18日からは、新年度最初の定期試験が始まります。一回のテストが自分の将来に大きく影響します。特に高校3年生にとっては、1学期に行われる2回の試験が、これからの進路決定に大きな影響を与えます。必ず最高の結果が出せるように努力してください。

さて、本校はミッションスクールなので、今日はカトリックの世界について話したいと思います。カトリック教会において5月は、聖母マリアを讃える月です。ヨーロッパ各地では、春の訪れを喜ぶお祭りとしてマリア祭が行われます。また昨年・今年とコロナの影響で中止となりましたが、萩から近い島根県津和野町でも、マリア像を担ぐ行列で有名な乙女峠祭りがこの時期に行われ、全国から2000人以上の方が訪れます。乙女峠祭りは、明治初期に、政府によるキリスト教弾圧で亡くなった殉教者を追悼することを目的に行われています。2018年には「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録され、翌年は長崎・浦上地区から津和野町に送られ殉教した37名について、福者の認定を受けるための調査が開始されました。皆さんもせっかく光塩に入学したのですから、ぜひ一度乙女峠祭りや「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を見学し、学習してみてください。ちなみに今年の中3は、コロナの影響でサイパン修学旅行が中止となったので、長崎と天草地方潜伏キリシタン関連の世界遺産を見て回る予定です。

また、今本館1階階段横のマリア像の側に聖ぺトロ・ノラスコの像が飾ってあります。昨日5月6日は聖ぺトロ・ノラスコのお祝い日です。ぺトロ・ノラスコは、今から803年前の1218年、スペインに本校の設立母体であるメルセス会を創立されました。当時は、イスラーム化されたイベリア半島をキリスト教徒の手に取り戻す国土回復運動(レコンキスタ)が展開されていました。捕虜となったキリスト教徒を守る必要性を強く感じられたぺトロ・ノラスコが、その目的を果たすためにメルセス会を創立されました。11世紀から13世紀に行われた十字軍の遠征や13世紀から15世紀に行われたレコンキスタは高校の世界史でも習う内容です。皆さんにも是非聖ぺトロ・ノラスコのことを知って欲しいと思っています。

これまでキリスト教について勉強する機会がなかった人も、世界史や日本史の視点からでもキリスト教について知ることができます。興味を持った人は宗教の時間や世界史・日本史の時間に是非質問してみてください。

最後に、今月の学院の目標は「かかわり」です。私たちが自分の周りの人と良いかかわりをもつことはとても難しいことです。私は、良いかかわりをするために、2つのことを意識しています。ひとつは積極的に人と接すること。もうひとつは、一人で過ごす時間を大切にすることです。このふたつは相反するようですが、決してそうではありません。人とのかかわりは、自分が傷ついたり、相手を傷つけたりすることもありますが、かかわることから逃げていては、いつまでもお互いを理解し合うことはできません。苦手な人を避けていては、相手も心を開いてくれません。強い心と勇気をもってコミュ二ケーションをとることによって周りの人と良い人間関係が築けるのだと思います。また、多くの人とかかわることは、ストレスがたまるものです。そして、時としてイライラして相手を批判してしまいます。しかし、そのイライラの原因は相手ではなく、自分自身にあることがほとんどです。人と上手にかかわることができない人と話していると、その多くは、必ず原因を相手のせいにしています。自分には反省することはないのでしょうか?私は、そんな時こそ一人で趣味の時間に没頭したり、豊かな自然を眺めたりして、一人の時間を持つことで心の中にゆとり持ち、自分自身の行動を客観的に見直すことが必要だと感じています。人から見て自分の発言や行動はどうだろうかと考え、見直すことで、かかわり方が改善され、本当の意味で良い人間関係を築くことができるようになるのではないでしょうか。

今月は、かかわりと自分を見つめることの両方を大切にする月にしていきましょう。

4/16(金) 朝礼のことば

新年度が始まり一週間が経ちました。中1・高1の新入生の皆さんは、友だちや先輩、先生方の名前を少し覚えることができたでしょうか?また、2年生・3年生の皆さんは、新しい学年としての自覚が芽生えてきたでしょうか?

光塩では、『朝礼』を一日の始まりの時として、とても大事にしています。2分間の沈黙は、普段慌ただしい毎日を過ごしている私たちにとっては、とても長く感じられますが、一日の始まりにけじめをつける貴重な時間です。沈黙の時間の中で、今日一日どのように過ごしたいか、前日の反省や今日一日の取り組み方を、しっかり考える時間に使ってください。また本来、毎週金曜日には聖歌を歌います。今はコロナの感染防止のため、声を出して歌うことはしていませんが、演奏を聞きながら心の中で歌ってください。

さて、生徒手帳5ページに学院の精神を具体化させる、毎月の目標が書いてあります。

本校の今月のテーマは「出会い」です。私が以前読んだ本の中に「その人の生涯が豊かであったかどうかは、その人がどれだけこの世で出会ったかによって計られる」と書いてありました。これは出会った人の数だけではなく、自然や出来事あるいはもっと抽象的な魂や精神・思想などにも触れる、出会うことだと書いてありました。新入生にとっては、新しい友だち・先輩・先生方との出会いの真っ最中だと思いますが、新しい授業、新しい教科書との出会いにも目を向けてみてください。勉強の中から新しい発見・興味・関心が生まれることは嬉しいことだし、知識を増やすことでより豊かになり、もっと知りたい、もっと深めたいと思うようになるはずです。2年生・3年生は、同じクラス、同じ友達であっても、相手を新たな目で見直すことによって、それまで自分が思っていたのとは別の、新しい友だちの良い面をたくさん発見することができます。さらに、新しい自分とも出会うことができたら、今年度のすばらしい出発になると思います。

自分の心の柔らかさ、素直さによって、新たな発見や素晴らしい出会いがあるように、これからも、ひとつひとつの出来事を大切にしていきましょう。

2/26(金) 朝礼のことば

明後日はいよいよ高校の卒業式で、今年度も残すところあとわずかとなりました。皆さんにとってどんな年でしたか?この1年を振り返る時、コロナの話題は避けては通れないと思います。コロナウイルスの感染拡大防止のため、休校になったり、学校行事が中止になったり、昼食時に自由に話ができなくなったり...さまざまなところで制限がかけられました。例年だったら、こんなことやあんなことができたのに...という思いもあったかもしれません。しかし、学校での皆さんの様子を見ていると、そんな気配は全く感じられず、不満を言わずに何事にも前向きに取り組み、楽しそうにしている皆さんの姿に先生たちは救われています。

それは、中学生が毎日書く「学習の記録」からも伝わってきます。中学生の日記には、「楽しい!」とか「幸せ!」と感じた出来事がたくさん詰まっていて、私は読むのが大好きです。体育でリフティングのテストだったのに2回しかできなかった(笑)、給食のラーメンが美味しすぎて幸せ、英検の面接官がどえらいイケメンでめっちゃ緊張した、先月より身長が1cm伸びていて嬉しかった、school lifeが楽しすぎて楽しすぎて!!あり得ないくらい楽しい!!!...思わず突っ込みたくなるものや、読んでいて吹き出してしまうものもあります。どんな状況にあっても、日常の些細な楽しみや幸せを見つけること、そしてちょっとした失敗を笑いに変えるのが上手だなぁ~と感心します。

そんな姿を見ていると、高校時代にある英語の先生から言われたことを思い出します。『"enjoy"という単語は、「喜び、楽しいもの」という意味の単語"joy"に"en"という接頭語がついてできたものです。この"en"は、名詞や形容詞につけて、動詞を作ります。つまり"enjoy"という単語は、「自分で楽しみや喜びを作る」という意味なのです。楽しみたいのなら、まずは自分で喜びを作る人になって下さい。』

この「自分で楽しみや喜びを作る」というのは、物事がうまく進んでいる時には簡単ですが、我慢を強いられている時には、大人でもなかなか難しいことです。しかし、充実した生活を送るため、人生を楽しむためには必要な力です。なので、この1年を楽しんで乗り切った皆さんはすごいと思います。そんな皆さんには、これからもどんな状況に置かれても「喜びを作る人」、「楽しみを作る人」であってほしいと思います。今年度もあとわずか...。一人ひとりが1つでも多くの喜びを作り出すことを意識し、みんなで笑って1年を締めくくりたいですね♪

2/12(金)朝礼のことば

 あさって2月14日はバレンタインデーですね。2年前のこの日、私はカトリックの洗礼を受けることを決めました。光塩に勤めてから触れたカトリックの教えは心地よく、ミサやカトリック研修などは元々好きでしたが、洗礼を受けようとは思ったことは一度もありませんでした。しかし、人生には心惹かれる瞬間、ときめく瞬間というのがあります。私にとって2年前のバレンタインデーは、ずっと身近にあった神様の愛に対して、力強く後押しされて受洗を決心する日となりました。今は神様が準備してくれたタイミング、愛の日だったと思っています。

 心惹かれる瞬間、それは進路指導をしていても大事な時だと感じています。私は受験前の面接練習で「将来の夢や目標は何ですか」とか「なぜ、その職業に就きたいと思っているのですか」と必ず尋ねます。そして、それぞれエピソードや熱意を語ってくれます。それは、想定内のものがほとんどですが、たまに想像の斜め上をいくことを言う人がいます。それは感動するくらい驚く内容だったりします。将来の夢や目標が決まる時、それはときめく瞬間です。例えば、同じライブやコンサートに行っても歌手に惹かれる人、ギタリストに惹かれる人、ダンサー、衣装、照明、音響など、惹かれる物は人によってさまざまです。同じものを見ても、聞いても感じ方が違う、みんな好きになる人が違うように、好きな教科が違うように、人ぞれぞれときめく物、惹かれる物が違います。タイミングだって人それぞれです。私はそのときめいた物を大切にしてほしいのです。すでに将来の目標が決まっている人は誠実に突き進んでください。まだときめく瞬間が来ていない人、特に高2でそういう人は焦っているかもしれませんが、落ち着いてその時を待ちましょう。新しく出会うものにときめくか、いつも身近にあるものの大切さに気付いてときめくか・・・。私は後者でした。小学生の時から歌ってきましたが、一生歌い続けたい、高校の音楽の先生になりたいと思ったのは高校1年の時。神様からの愛に気付いたのも光塩に勤めだして15年目でした。私たちの周りはいつも大事なものであふれています。今年度はもうすぐ終わりますが、ときめく瞬間はすぐに来るかもしれません。楽しみですね!

2/5(金) 朝礼のことば

高3の卒業試験も昨日で終わり、いよいよ別れの時が近づいてきました。2月は中3・高3の皆さんにとって、中学・高校の総仕上げと次に来る新しい生活のための準備の期間です。今の仲間と過ごす時間はもう2度とありません。この1カ月を大切に過ごしてください。

今月の学院のテーマは「愛」です。皆さんは「愛」についてどのように理解し、解釈しているでしょうか。私は毎年、2月のテーマ「愛」について話しをするためにいろいろ勉強します。そして、中学生や高校生にどう話せば、誤解なく伝わるのか...と考えます。本校はミッションスクールなので、聖書の中に「愛」について何と書いてあるかも調べてみました。そこには、「愛」とは、友のために命を惜しまず尽くしていくこと、困っている人を見て、言葉や口先だけでなく行いをもって誠実にかかわること、ねたまず・高ぶらず・誇らないこと、利益を求めないこと、愛には偽りがあってはならないことなどが述べられています。

そこで今日は、「隣人愛」について話したいと思います。聖書の中には次のような有名な話があります。これは宗教の時間にも聞いたことがある話だと思います。
 『あるユダヤ人が、旅の途中追いはぎに襲われ、半殺しの状態で道端に倒れていました。そこに同じユダヤ人の祭司が通りかかりましたが、その人を見ると、道の反対側を通って去って行きました。次にレビ人もやって来ましたが、その人を見ると、同じように道の反対側を通って去って行きました。ところが、次に来たサマリア人は、その人を見ると哀れに思い、近寄って傷を消毒し、包帯をして、ろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱しました。そして翌日、宿屋の主人にお金を渡して「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りに私が払います。」と言いました。』

この話をよく理解するためには、登場した三人の関係を知る必要があります。最初に通ったユダヤ人の祭司は、神に仕える人で、困っている人がいたら、真っ先に救いの手を差しのべるべき人です。次に通ったレビ人も、神殿で門番と聖歌隊を兼ねる役職で、やはり神に仕える人です。最後のサマリア人とは、パレスチナのサマリア地方に住む人々のことを指します。この頃、ユダヤ人は、排他的で選民思想が強く、サマリア人を嫌い、軽蔑していました。

さて、思い出してください。追いはぎに襲われたのはユダヤ人です。本来なら、真っ先に追いはぎに襲われたユダヤ人を助けなければいけないのはユダヤ人の祭司で、その次がレビ人です。サマリア人にとってユダヤ人は、自分たちを軽蔑し、嫌っている人たちなので、本来は助けたくはない人です。しかし結局、追いはぎに襲われた人を助けたのはサマリア人でした。この話は、次のことを教えています。
 例え見ず知らずの人であっても、敵対する人であっても、その人が困っていたら、自ら進んで助けてあげること。つまり、「誰が自分の隣人なのか?」が問題なのではなく、「自ら進んで隣人となること」が、隣人愛の本質だというのです。このことから「隣人愛とは、自分以外の全ての人に対する愛である」ということができます。
 私は、隣人愛とは、他人の命を救うような仰々しいことだけではないと思います。例えば、自分の周りで嫌なことがあっても、周囲の人間や社会に対して怒りや憎しみをぶつけないこと。人の悪口を言ったり、罵ったりしないこと。弱い人間に対して、いじめや差別を行わないこと。そして出来れば、優しさや微笑をいつも絶やさないように努力すること。このように、周囲に対する「ほんの少しの思いやり」を持つだけでも立派な隣人愛だと思います。

殺伐としてストレスの多い現代社会の中では、このような「ほんの少しの隣人愛」を社会全体に浸透させることこそ、もっとも重要で大切なことだと思います。今月からは、この学校を優しさと微笑みの絶えない「思いやり」のある学校にしていきましょう。

12/4(金) 朝礼のことば

 今年も早12月となり、師走を迎えました。カトリックの世界では、クリスマスまでの4週間を『待降節』と呼び、「主の降誕(誕生)を待ち望む期間」としてとても大切にしています。この期間に私たちはクリスマスの本当の意味を知り、クリスマスを迎える心の準備をします。心の準備とは、私たち一人ひとりが、自分の生き方や態度を見直し、常に誠実でいられるよう努めることです。家族や身近な人のために、あるいは貧しい生活をしている人のために、何か良いことをする。例えば、笑顔で接する、お手伝いをする、困っている人の手助けをする、節約して募金をするなどです。また良いことをするだけでなく、自分から挨拶をする、友だちの話を聞いて寄り添っていく、嫌なことも快く引き受けてみるなど、自分の苦手なことに挑戦してみることも大切です。世界の平和のため、また学校や家族の平和のために、今自分に何ができるか考えてみてください。皆さんもよく知っているサンタクロース。このモデルとなったのは、4世紀、小アジアで司教をしていた聖ニコラウスです。彼は慈悲深く、多くの貧しい人を助けたと言われています。特に有名な話が、貧しくて3人の娘をお嫁に出すことができない人の家にこっそりと金貨を投げ込んだという話です。サンタクロースが、煙突から入って、靴下にプレゼントを入れたという言い伝えは、ここから生まれました。私たちはせっかく縁あってカトリック学校に通っているのですから、クリスマスには、プレゼントをもらったり、ケーキを食べたりするだけでなく、クリスマスの本当の意味を考え、イエス・キリストや聖ニコラウスのように慈悲深く、人に何かを与えられる人になりたいものです。毎年12月に学校で行っている路上生活者への越冬支援やカトリック献金などは、私たちにできる協力を具体化している取り組みです。待降節に大切なことは、大きく揺れ動く世界の中で、本当のものを見分ける心、気づく心を身につけることです。それは自分中心のエゴから抜け出して、人のために生きようとすることです。今年の待降節はこのようなことに挑戦してみてくだ
さい!
 さて、今月の学院のテーマは『感謝』です。今年はコロナで多くのものを失った1年でしたが、そんな1年でも皆さんにとって何かしら、希望が持てる良いこともあったと思います。失ったものだけに目を向け、不満ばかりを持つのではなく、良かったことに感謝して、1年を締めくくりたいものです。先日、バザーに代わるお菓子販売会を行いました。私は毎年この期間に、この学校がくの人に支えられていることを実感し、感謝します。バザー前後になると、たくさんの支援者の方が学校を訪問されます。毎日毎日ビスケット作りを手伝ってくださるOBの先生、子どもが卒業しても毎年手伝いに来てくださる元保護者、遠くから寄付金や手作りの手芸品を送ってくださる卒業生や関係者の方々。また激励の電話やメール、手紙、LINEもたくさん届きます。バザーができなかった今年も、たくさん手紙が届きました。94歳になられる姉妹校光塩女子学院の元先生。90歳になられる東京光塩の卒業生。80歳を超えた東京在住の卒業生。東京のシスターたち。県内の防府市や周南市在住の卒業生。そして30歳を過ぎたばかりの教え子たち。挙げればきりがないほどの方が、目に見えないところでこの学校を支えています。私たちは、まずこの学院をとおして生まれた『つながり』の深さに気づかなければいけません。そして、次にこのような人たちに対して「いつも支えてくれてありがとう」「気にかけてくれてありがとう」と感謝の気持ちを持つことが大切です。それができなければ中学生として、高校生として、また人として立派に成長しているとは言えません。
私たちは時に、人の悪口を言ったり、人を責めたりすることで、自分の正当性を表現し、存在感をアピールしがちです。しかし、悪口を言ったり、責めたりした後は、必ず心の中に何かモヤモヤしたものが残ります。私は皆さんに、自分と合わない人を責めるのではなく、自分を支え、助けてくれた人に感謝しながら毎日を過ごして欲しいと思っています。友だち・家族・先生方に感謝しながら、2020年を締めくくりましょう。

11/13(金) 朝礼のことば

皆さんは「ミニマリスト」というライフスタイルを知っていますか?「ミニマリスト」とは、必要最小限のものだけで暮らす人のことを指す言葉です。極端な例をあげれば、家に洗濯機と布団と少しの調理器具しかなく、洋服は黒のズボンに白のシャツだけで暮らしているミニマリストもいるくらいです。私たちは普通たくさんのものを持っているほうが幸せで裕福だと感じ、ものを捨てるのはもったいないと思うものです。しかし、「ミニマリスト」の実践者は不必要なものをずっと持ち続けていることももったいないと考えます。ものを持っているというのはそれだけ自分の時間や手間をそのものに費やさないといけないからです。皆さんの筆箱を例に考えてみましょう。筆箱の中を思い浮かべてください。どんなものが入っているか思い出せますか?シャーペンが2本も3本も入っていたり、書けなくなった名前ペンや壊れたコンパスがそのままになっていたりして、ごちゃごちゃになってはいませんか?「ミニマリスト」はこれをもったいないと考えます。なぜなら、不必要なものを毎日家から持ってきて、必要なものの中から必要なものを探して使わなければいけません。たいしたことではないですが自分の時間や手間をその不必要なものに費やすのをもったいないと考えるのです。では、その筆箱を整理するとどうなるでしょうか。ものを手放し、自分が持っていてときめくものを残すのです。シャーペンは自分の握りやすい1本にする、コンパスはは自分のお気に入りのデザインのものを探す、名前ペンは処分する。私は文房具マニアになれと言っているのではありません。その筆箱の中身ひとつひとつにまでこだわってお気に入りのものにすれば筆箱を開くのが楽しみでわくわくすると思うのです。私は皆さんが「ミニマリスト」になればいいとは思いませんが、この考え方は参考にできることがあると思います。自分の身の回りのもの、そして自分の行動や発言などもこの筆箱の中身と一緒で今の自分に本当に必要なものに目を向けていくことで、毎日をより豊かにわくわく過ごすことができるのではないでしょうか?

11/6(金) 朝礼のことば

10月30日(金)は69回目の開校記念ミサでした。今年初めてミサに参加した中1、高1の皆さんは、ミサとは、何か?何を行っているのか?理解するのは難しかったと思います。しかし、中井神父様から校名にもなっている聖書の言葉の説明を聞いたことで、創立者マドレ=マルガリタが光塩に入学してきた皆さんに何を期待し、どういう生徒に成長して欲しいと願って学校を創られたのか、少し理解できたと思います。学院の創立を記念することは、ただ過去の伝統を守っていくだけでなく、これからの新たな出発を祝う節目の日でもあります。これからも生徒の皆さんによって光塩の精神、良き伝統が引き継がれていくことを願っています。ミサの中で、みんなで歌った聖歌やハレルヤコーラスはとても素晴らしいものでした。今年はコロナ対策で在校生と教職員だけの参加だったので、保護者や卒業生、関係者の方々に、あの歌声を聴いてもらうことができなかったのがとても残念です。ここ数年は、中学・高校の3年生が中心となって大きな歌声を響かせています。3年生が、先輩として一生懸命歌う姿を後輩に見せることで、良いお手本となり、何もわからなかった1年生が、2年生3年生と進級するにつれ、憧れの先輩に近づこうと成長し、良い伝統が守られていきます。私は、毎年この歌声から、皆さんの純粋さと力強さを感じると同時に、これからの光塩にも大きな希望を感じることができます。1年生、2年生の皆さん、来年もそして再来年もあの素晴らしい歌声を期待しています。

また今月23日には光塩バザーに代わる『お菓子販売会』があります。伝統のビスケット作りも本格的に始まっています。毎日授業の中で、感謝の思いを込めて一生懸命作っている生徒の皆さん、ありがとうございます。またそれだけでなく、みんなが授業ですぐにビスケット作りが始められるよう、自ら申し出て毎日朝早くからビスケットの生地作りを手伝ってくれている高3の津田さん、中村さん、高2の大崎君、ありがとうございます。この人たちのように、自ら進んで仕事を手伝う姿こそが本当の意味の奉仕であり『自分のまわりに喜びと光をまく人になる』ということです。私立学校は、保護者・卒業生・地域の方々の支えがあって成り立ち、光塩でそれを一番感じることができるのがバザーであり、今年でいうお菓子販売会です。光塩バザーの由来は既に皆さんも知ってのとおり「自分たちの学校を自分たちの手で作っていこう」と始められたものです。今ここにいる私たち在校生や教職員が、一番にそのことを理解し、自分の利益を優先せず、卒業生やOBの先生方、地域の方々以上に奉仕の精神をもって協力しなければいけません。そのことを胸に刻んでもう少しの間ビスケット作りに励んでください。

最後に今月の学院のテーマは『希望』です。今年のようなコロナ禍で先が見えない時こそ『希望』という言葉の本当の意味や温かさを知ることができます。

私たちは、『希望』という言葉を聞くと、まず個人としての望みが叶うことを思い浮かべますが、今月はそれだけでなく、もう少し広がりをもって、クラスとして、学校として、社会としての希望をみつけていく月にしたいと思います。私たちは、嫌なこと苦しいことがあるとすぐに絶望的なことを考えてしまいますが、そんな時ほどみんなが必ず持っている「希望の光」を信じ、前向きに努力していくことが大切です。今は新型コロナという感染症のために、気持ちも沈みがちになってしまいますが、決して希望を失わず、コロナ後の世界が充実したものになるよう、一人ひとりが今できることを考え、努力していく月にしていきましょう。

10/23(金) 朝礼のことば

みなさんは、好きな音楽や歌、忘れられない音楽や歌はありますか?

また、音楽を歌を聞いて、元気になる、その時のことを思い出す、このような経験はありますか?

音楽にはたくさんの力が秘められていると思います。

癒す力、モチベーションを上げる力、落ち着かせる力など。

今は、密室での接触を避けねばならない状況がつづき。

昼ご飯も友達とたのしく話しながら食べることも難しいです。

しかし、音楽があるだけで、気分も変わります。

私自身、これまでさまざまな面で歌や音楽に支えられていたと感じます。

特に歌は音楽に言葉がのせられているので、より心に届くような気がします。

好きな歌を聞いたり、歌うことで歌詞の意味もプラスされ、励まさせられたり、元気になる

そんな力があると思います。

なかには音楽や歌で世界を救ったり、逆に滅ぼすために...というアニメや物語もあります。

そのような歌ですが、始まりは旧石器時代ともされているようです。
・小鳥のさえずりなどの動物の鳴き声を真似する事からはじまった
・歩いたりするときや、石器を作ったりするときのリズムからはじまった
・雨乞いをする時など、願いを強くあらわしたいときにうまれた

などが始まりとされているそうです。

そして、おもしろいことに、ヒト以外の動物には音楽がほとんど存在しません。鳥類やイルカやクジラのなかまには、発声を応用した「歌う」種がわずかにいるだけで、それはあくまでもコミュニケーションの1種です。

光塩は歌をうたう機会がとても多いです。

今日は金曜日です。毎週金曜日は、本来であれば毎週金曜日はみんなで聖歌を歌うのですが、あたりまえに歌うことが難しく今年度はまだ歌うことができていません。心の中では歌っていてもやっぱりさみしいです。

また今は、音楽の時間で開校記念ミサにむけて聖歌やハレルヤコーラスの練習をしています。

明日は、中学生がオープンスクールで2曲歌います。

歌からパワーをもらった、励まされた 経験のある人は

今度は逆に、歌う側として

歌のもつ 「伝える 伝わる」力を 是非、披露してください。

10/9(金) 朝礼のことば

 毎年10月の第2月曜日に設けられていた「体育の日」という名称を2020年から「スポーツの日」と改められました。なぜ、わざわざ改名する必要があったのでしょうか?そもそも体育の日は1964年に東京オリンピックの開会式が行われたことを記念し、2年後の1966年に「スポーツに親しみ、健康な心身を培う」ことを目的に作られた祝日でした。そして、今年の夏に行われる予定だった56年ぶり2度目の東京オリンピックの開催を記念して、2020年に「体育の日」が「スポーツの日」に改名されました。今年は東京オリンピックの開会式の予定日だった7月24日がスポーツの日でした。「体育の日」を改名するに当たって、「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」ことを目的としてスポーツの日としたのだそうです。単に体を動かして自分が健康になるだけでなく、周りの人と仲良くしてみんなで社会をよくしていこうという大きな目標に変わったのです。

 いま体育の授業では、バドミントンや卓球、ソフトボールなどを行っています。先生「今日のバドミントン楽しかったです!!」、「技ができるようになりました!!」そのような声を聞くとうれしい限りです。

みなさんは、授業で教えたことをすぐに吸収し、どんどん上達していく姿にいつも驚かされています。その気持ちに応えようとついつい指導に熱が入ってしまうこともあります。練習に真剣に取り組む姿や笑顔で試合を楽しむ姿、ときには緊張している様子そして友だちのプレイを応援したりほめ合ったりしている姿などみなさんのいろいろな表情や姿、心の様子を見ることができます。

私は、「できる」「できない」だけでないスポーツの価値、つまり「楽しさ」や「喜び」を知ってもらいたいと考えています。スポーツとは、必ずしもがんばらなければいけない、うまくならなければいけない、勝たなければいけないものではありません。他者と比較することなく、自分に合ったプレイの仕方を見つけられれば、みなさんは大人になっても進んでスポーツに関わり、自然と生涯スポーツを楽しみながら、健康で豊かな生活を送っていくことができるでしょう。

そして体育の授業で身に付いた力は社会に出てから役立つものばかりです。

運動によって高められた筋力、瞬発力、持久力、柔軟性、バランス感覚等の基礎体力は、将来健康的に生きていく上でとても大切です。球技などの集団的なスポーツで学んだチームワークが、社会に出てからも生きてきます。チームワークとは、自分や周りの人の強みや弱みをお互いに理解し、それぞれの良さをうまく発揮して、各々の弱点をカバーし合い、みんなで一つの目標を達成するために協力し合うことです。世の中のほとんどの仕事はチームワークによって成り立っています。また、ルールを守って競技をするということは、社会に出ても法律やマナーを守るという基本的な考えを学ぶことにつながります。

みなさんの成長を身近で感じられることが、私にとって充実した日々となっています。みなさんに感謝ですね。ちなみに来年の「スポーツの日」は7月23日です。この日に延期となった東京オリンピックの開会式が行われることを願いたいものです。

10/2(金) 朝礼のことば

 朝晩の涼しさが季節の変化を感じさせます。秋には、「スポーツの秋」「芸術の秋」「読書の秋」「勉強の秋」「食欲の秋」などいろいろな言葉がつけられます。皆さんも今年の秋は自分らしさを生かし、何かにチャレンジする秋にしてみてください。
 さて、今月の目標は「信頼」です。信頼という言葉で、皆さんが連想することは何でしょう。また、皆さんが他の人を信頼する条件は何でしょう?私たちは時々「私のことを信頼してくれない」とか「あの人は信頼できない」という言葉を言ったり、聞いたりすることがあります。「信頼」は人とのかかわりや繋がりを前提としているので、そのような人間関係は一日や二日でできるものではなく、毎日の生活の中でお互いに育て、作り上げていくものです。皆さんは、普段信頼して欲しい家族や友達とどんなかかわり方をしていますか?振り返ってみてください。信頼を得るためには、時には自分を犠牲にし、人のために尽くさなければいけません。極端な言い方をすれば、自分のことよりも人のために尽くせば尽くすほど、信頼は自然と得られていくものです。これは本校のモットーである「自分のまわりに喜びと光をまく」ということと全く同じ意味です。他の人から信頼されるようになるには、日々の積み重ねが必要で、そのためには言葉できちんとコミュニケーションをとることも求められます。自分の考えや思いを正しい言葉で伝えられるよう一人ひとりが意識し努力してください。日々のかかわりの中で、失敗や間違いがあれば素直に謝り、また謝ってきた相手を許すことができれば、お互いに良い関係が生まれてくると思います。最近の生徒同士のトラブル事案を聞いていると、間違った情報や噂話を信じて、それに振り回されている人が多く、本人同士が直接話し合う前に相手を責め自分を正当化しているケースが目立ちます。上手にコミュニケーションをとることができず、信頼関係が築けていない証拠です。学校は、ケータイやゲームなど機械を相手にする場ではなく、友達や先生方との生きた「生(なま)」のかかわりの場です。毎日のかかわりの中で「信頼」という言葉の意味を、そして「生き方」を確認する10月にしていきましょう。
 次に、先日今年度の光塩バザーの中止をお知らせしました。このバザーは学校が開校して3年目、今から66年前に当時の新校舎である円型校舎を建てることを目的に始まりました。今から66年前といえば、日本が第二次世界大戦で負けてまだ10年しかたっていない頃です。当時は終戦直後で国全体が貧しく、新しい校舎を建てるということは難しい時代でした。そんな時、姉妹校のスペインやメキシコの生徒たちが、萩の学校建設のために「セメントを一袋ずつ寄付しよう」と、おやつを我慢したり、小さなバザーを開いてお金を集めたりして協力してくれました。このことを聞いた当時の萩光塩の保護者や生徒が、自分たちも「学校を支えるために何かしよう」と、この光塩バザーが始まりました。今では、多くの方々の協力を得ながら、地域の一大イベントになっています。伝統の光塩ビスケットを購入するために毎年多くの人が長蛇の列を作ります。それほど地域の方々に愛されてきた光塩バザーを中止することは、本当に残念で苦しい決断でしたが、生徒や協力してくださる保護者の皆さんの安全確保、そして現在の地域の経済状況などを考えての決断です。バザーは、本学院の伝統的行事であり、建学の精神、奉仕の精神を具現化することができる大切な行事で、教育的にも大きな意味をもっています。そこで今年は、生徒の皆さんが、ビスケット作りやマドレーヌ作りをとおして光塩の伝統を継承し、奉仕の精神をもって働くことの大切さを知ること、バザーの雰囲気を少しでも体験すること、また地域への感謝の気持ちを表わすことを目的として『萩光塩学院 お菓子販売会』を実施することにいたしました。形は変わっても皆さんにできることはたくさんあります。自分に何ができるかを考えながら、これから始まるビスケット作りに、まじめに一生懸命取り組んでください。

9/25(金) 朝礼のことば

 私は今、中1を担任しています。中1に「あなたたちは光塩の子なのよ!!光塩は他の学校とは違うの。ブランド校だからね!」と言おうとして私は「ブランド牛だからね!」と言ってしまいました。その時から彼らは「ブランド牛☆ブランド牛☆」と言って楽しんでいます。
 光塩の生徒として、光塩とはどういう意味なのかを入学してすぐ、校長先生からお話ししていただきました。みなさんもご存じのとおり、光はろうそくの火で表現してくださり、暗いところに明るさをもたらすだけではなく、ろうそくのロウのように自らを削り、周りに光をもたらすこと、塩は料理にうま味をつけるけれども、塩の形は残らないことなどを教えていただきました。

 素直な中1は「人任せにせず、一人ひとりが積極的に行動してお互いを尊重しあう」をクラス目標にしました。

 クラスで物事を決める時には、全員の意見を聞きます。性格もあるので、先に意見が言える人はどんどん言いますが、時間がかかる生徒もいます。

 先日、体育祭の玉入れに誰が出るかを決める時のことです。6名+補欠で7名登録することができます。いつものように立候補してもらうと7人がすぐに手を上げました。私は「ちょうど7人だからこれで決定!!早く決まったな。」と思っていました。すると、手を上げなかった人に「玉入れに出たいんじゃない?私代わるよ!玉入れだから、上手とか下手とかじゃないんだよ。出たいか、出たくないかだから。楽しめばいいんだよ!楽しいから!!」と声をかけていました。すると、声をかけられた彼女は「出たい・・・」と言いました。

 私は日々中1から学ぶことが多くあります。嬉しかったらジャンプをして喜ぶこと、笑い袋のように楽しそうに笑うこと。言われたことはそうしようと努力すること、自分のことだけ考えるのではなく、周りにも声をかけること。

 素直な彼女たちは学校生活の中で、中学校・高校の先輩達からかわいがられ、そして学び、成長しています。しかし、学校の中では一番年下で甘やかされ、それに気が付かず、気を利かせて動くことができません。言われてからの行動もすごく遅いです。楽しいことはしても、嫌なことからはまだまだ子供で逃げようとします。

 だけど中1は、ブランド牛、「Premium Beef」です。

 光塩の生徒として、A5ランクの最高品質となるように、勉強も、歌も、ダンスも、そして性格も、「自分のまわりに喜びと光をまく人」となれるように、そして、「世の光、地の塩」になれるように、私も、中1と共に、成長していきたいと思っています。

9/18(金) 朝礼のことば

7月1日からレジ袋が有料になりました。私は、エコバッグを持っていないのにレジ袋を頼み忘れ、商品を手掴みで持って帰るという、ちょっと恥ずかしい思いを何回かしました。

しかし、なぜレジ袋を有料化にするのでしょうか。レジ袋が有害だからでしょうか。ちがいます。レジ袋の原料のポリエチレンは、燃やしても発生するのは二酸化炭素と水だけで、ダイオキシンなどの有害物質は発生しません。また、原料のポリエチレンも石油を精製した後に残るものなので、資源の有効利用にもなっています。ではレジ袋が海洋プラスチックゴミの多くを占めているからでしょうか。ちがいます。海洋プラスチックゴミは、漁業の網やロープが26%、発泡スチロールのブイが15%、飲料用ボトルが13%といったように漁業関係のゴミが約半分を占めていて、レジ袋などは0.3%しかありません。つまり、レジ袋は決して悪者ではないのです。

経済産業省も「海洋プラスチックゴミ問題、地球温暖化などの課題に対し、私たちがプラスチックの過剰な使用を抑制し、賢く利用していく必要がある。」ということから「普段何気なくもらっているレジ袋を有料化することで、それが本当に必要かを考え、私たちのライフスタイルを見直すきっかけとすることを目的とする」と説明しています。つまり、何気なく使っているプラスチックの使用量を減らすことで、環境問題の解決につなげたいということなのです。

海洋プラスチックゴミは2015年の統計では合計で1億5千万トン、そこへ年間少なくとも8百万トンが流入しているそうです。これらのゴミを魚や海鳥などが餌と間違えて食べたり、ウミガメなどの生物がプラスチック製の網に絡まったりして、傷ついたり死んだりしています。

また、プラスチックゴミがほかのゴミと比べて困るのは、自然界で分解されにくいということです。例えば、レジ袋が海の中で分解されるまでには20年、発泡スチロールのカップは50年、ペットボトルはなんと400年もかかるそうです。つまり、プラスチックゴミは分解されずにどんどん海にたまっていくのです。

レジ袋の有料化といえば、どうしてもレジ袋だけに目がいってしまいがちですが、ペットボトルや発泡スチロール、そのほかの色々なプラスチック製品に対して、買い方や使い方、そして何よりも捨て方を考える必要があります。

9/11(金) 朝礼のことば

 2学期最初の大きな行事である体育祭が無事終わりました。今年はコロナ禍でどんな体育祭になるか少し心配でしたが、先生方のアイディアと皆さんの取り組み、そして保護者の方々の協力のおかげで、例年に劣らない良い体育祭になったと思います。生徒の皆さんが、一生懸命走ったり演技したりする姿は、とても好感がもてました。何より皆さん自身が、精一杯やったことへの喜びや勝ち負けよりももっと大きな満足感を味わうことができたのではないかと思います。皆さんが一生懸命取り組み、成功した裏には、先生方の指導・サポートがあったことも忘れないでください。これから大人として社会に出ていく皆さんにとって、ひとつのことをやり遂げていく時、必ず誰かの支えと助けがあること、自分の頑張りをいつも温かく見守ってくれている人がいること、そしてそういう影の人への感謝の気持ちを、どこかできちんと伝えることができる人になって欲しいと思います。

さて、今月の学院のテーマは「協力」です。「協力」は、頼まれたこと、すべきことを皆とともに喜んですることであり、又一つの目標に向かっていろいろなアイディアを出し合い、より良いものをめざそうと積極的に行動することです。正に今回の体育祭で見せた姿です。「協力」とは、必ずしも自分が賛成していることにだけ協力すればいいというものでもありません。反対の立場でも全体のことを考えたときに協力しなければいけない時もたくさんあります。その時その時で、自分の置かれた立場、状況をよく見て、今自分が何をすることが、その目的のためになるのかを考え、判断する力がたえず求められています。それぞれの場面で、自分ができることを積極的に見つけ、みんなが一丸となって、私たちの学院を築いていくという意識で「協力」という言葉の意味を確かめる月にしてください。

 今学期は文化祭、開校記念ミサ、バザー、キャロルコンクールなど多くの行事が予定されています。そしてこれまで中止や延期になっていた運動部の試合や文化部の発表の場も少しずつ実施されていくことでしょう。今後のコロナの感染状況次第でどうなるかわからない部分も多々ありますが、皆さんは、いつでも全力を尽くせるよう、与えられた場所で準備や練習に励み、協力を惜しまない魅力的な光塩生なることを忘れないでください。

 朝晩涼しくなり、暑さの中にも秋の気配が感じられるようになりました。毎日の読書や勉強にも力を入れ、自分自身を豊かにする9月にしていきましょう。

7/10(金) 朝礼のことば

 1986年、今から34年前、私たちは、初めて海外へ修学旅行に行きました。行先は韓国です。この当時、韓国は『近くて遠い国』とよばれ、韓国への修学旅行にはいくつかのハードルがありました。日本は、朝鮮半島を1910年から45年までの35年間、植民地として支配しました。そのため、40年経っていたにもかかわらず、反日感情を抱いている人もいました。さらに、1950年から朝鮮戦争が起こり、半島は3年間にわたって激しい戦場となりました。戦いは休戦となりましたが、北緯38度線を境に、韓国と北朝鮮という分断国家となり、現在に至っています。休戦とは、戦争の一時停止を意味し、再び戦争がいつ始まってもおかしくないということです。それに、韓国は急激に発展を遂げていましたが、安全について不安視する声もありました。このような状況の()で、韓国への修学旅行を実現できたのは、当時の校長先生であったシスター池田の、『実際に外国を見ることで、高校生に国際的な視野を養わせたい』という、熱い()いがあったからです。この旅は、貴重な体験となりました。今思えば、楽しいというよりは、日の丸を背負った緊張感あふれる旅であった気がします。その後、私たちは何度も修学旅行で韓国を訪ねました。韓国は急速に『近くて近い国』になっていきましたが、突然日韓関係や朝鮮半島情勢が悪化して、修学旅行が危ぶまれたこともありました。その中で、変わらなかったことが一つあります。それは、現地の高校生との交流です。韓国の高校生は、フレンドリーで積極的で、とても日本に関心を持っていました。光塩の生徒たちもすぐに打ち解け、2時間という短い時間でしたが、毎回最後は涙・涙の別れとなりました。子供の頃から日本と朝鮮半島の複雑な関係を身近に見てきた私は、若い人たちが何の先入観も持たずに、自然に接する姿を、本当にうらやましいと思いました。

 ところが、二年前の夏、私の意識は大きく変わりました。テレビでたまたま韓流時代劇を見て、すっかりその魅力に取りつかれてしまったのです。最近は韓流時代劇だけでなく、今の韓国社会が描かれた現代劇も大好きです。韓ドラの魅力はいろいろありますが、『日本と似ているようで全く似ていない、似てないようでとても似ている』― ここに、私は面白さを感じています。韓ドラファンになって見えてきた、日本と朝鮮半島の大きな違いがあります。一つ目は、日本は四方を海に囲まれた島国で、侵略された経験がほとんどありません。一方、朝鮮半島は、すぐ隣に大国中国があります。強力な国ができると、真っ先にその影響を受け、中国とどう向き合って行くべきか選択を迫られるのです。二つ目は、韓国の若者が置かれた状況です。韓国には徴兵制があり、男性は30歳までに2年近く兵役に就く義務があります。兵役が無理な場合は、社会服務要員として役所や福祉施設などで働きます。その間、自分の仕事や勉強などは、すべて中断しなければなりません。韓流スターやK-POPアイドルといえども同じです。人気絶頂のスターやアイドルが、次々と軍に入隊していきます。『国民の義務か自分の将来か』という選択を迫られる韓国の若者は、心の中に大きな葛藤をかかえているのではないでしょうか。

 今、日韓関係は、戦後最悪と言われる状態にあります。その上、朝鮮半島情勢は、ますます厳しさを増しています。こういう時こそ、先入観や感情論で判断するのではなく、相手国を客観的な目で見、真剣に向き合っていくことが必要なのではないでしょうか。私は、これからも朝鮮半島について、知る努力を続けていきたいと思います。

10/11(金) 朝礼のことば

 校長先生が、今月のテーマ「信頼」について話され、信頼される人になるために、特に大切な4つのことを伝えられました。 

 「自分の間違いを素直に認める」、「約束をきちんと守る」、「自分中心に考えない」、「愚痴や悪口を言わない」。この4つでした。皆さんはどのように、この話を受け止めたでしょうか?私は話を聞いていて耳が痛くなりました。自分を振り返ってみると、できていないと思うことがいくつもあったからです。周りの人たちから信頼されるには、この4つのことを丁寧に、そして確実に実践していかなくてはいけないと痛感しました。

 さて、皆さんには信頼できる友だちはいますか?信頼できる友だちとは、どんな友だちでしょうか?一緒に楽しむ、一緒に目標に向かってがんばる、悩みを聞いてくれる、悲しい時そばにいてくれる...さまざまな考えがあると思いますが、私は、信頼できる友だちとは一緒に楽しんだり悩みを聞いてくれたりするだけでなく、間違っていることをきちんと注意してくれる人だと思います。ありがたいことに、私にはそんな友だちが何人かいます。大学の2年間を寮で過ごした私は、彼女たちと家族のように生活を共にしました。一緒に暮らせば暮らすほど仲も深まりますが、相手のダメな部分も目についてしまいます。しかし、それは相手も同じです。相手から見たら、私にもダメダメな部分はたくさんあったと思います。ある日、相手の気持ちを考えずに発した私の発言に、友だちの1人が「愛、そういうのはよくないよ。やめなよ。」と言いました。友だちからそんなことを言われてショックでしたが、同時に「何でそんなこと言われないといけないの?」と少し腹も立ちました。しかし、よく考えてみると、私のことを思ってくれての一言です。もし、彼女がその時注意をしてくれなくて、私がまた同じような発言をしたらどうでしょう?周りの人たちは嫌な気分になるし、傷ついてしまうかもしれません。そうしたら、その人たちから私への信頼はなくなってしまいます。友だちを失ってしまうかもしれません。私を注意してくれた友だちは、真正面から私と向き合い、本当に私のことを考えて注意してくれていたのです。その時から、私は彼女を心から信頼できるようになりました。相談にのってもらったり、私が話を聞いてあげたりすることもあります。遠くに住んでいる彼女とは頻繁に会うことはできませんが、今でも仲の良い友だちです。

 皆さんはどうでしょう?信頼できる友だちはいますか?そして、あなたは友だちから信頼されているでしょうか?もう1度自分の言動や周りの人たちとの関わり方を振り返り、人から信頼される人になるにはどうしたらいいかを考えてみる月にしてみましょう。

10/4(金) 朝礼のことば

 10月になりましたが、台風の影響もあり、日中はまだまだ暑い日が続きます。しかし、朝晩の涼しさなど秋の気配もいたるところで感じられるようになりました。今月は中間テストがあります。少し心を落ち着かせて、時間を上手に使いながら、勉強に集中するようにしていきましょう。

 さて、今月の学院の目標は「信頼」です。皆さんは誰を信頼していますか。どんな人なら信頼できますか。少し考えてみてください。楽しいときだけ一緒で、苦しい時には逃げてしまうような人を信頼できますか。ラインやツイッターなどで人の悪口や陰口を言う人が信頼できますか。

 私たちはいつも人への要求ばかりが先にあります。よく「あの人は信頼できない」「先生なんて信用できない」と言います。しかし、そう言う前に、まず自分が信頼される人であるか、信頼される言動をとっているかどうか自分自身に問かけてみてください。

 今日は皆さんに、信頼される人になるために、特に大切な4つのことを伝えたいと思います。

 まず、1つ目は、「自分の間違いを素直に認める」ことです。間違いを正すという行動には、謙虚・誠実・償いの気持ちが込められています。失敗は自分にとってマイナスばかりではなく、その時の行動によっては、逆に不信を信頼に変えることができます。人間生きていればたくさん間違いを犯すものです。だからこそ間違えたことを素直に謝り、認めることも必要です。

 2つめは、「約束をきちんと守る」ことです。たとえ小さな約束であったとしても、やぶられた側からすれば大きな傷が生まれます。自分が信頼されるためには約束を守ることが大切です。

 3つめは、「自分中心に考えない」ことです。自分の損得がギラギラと出てしまうような人は信頼されません。自分のことだけでなく、かかわる相手のことを気遣うことが大切です。

 4つめは、「愚痴や悪口を言わない」ことです。ついつい、こぼしたくなる愚痴、悪口、誰かの批判。でも、度を過ぎると、信頼されなくなるので要注意です。

 さて、私たちはこれらのことができているでしょうか?私たち自身が信頼される人になっているでしょうか?私の場合は、特に人のために時間を使うことができる人、そしてそれを自慢せず陰から支えてくれる人、いわゆる自己犠牲ができる人を信頼します。私は、他の人にそれを求める前に、まず自分がそうでなければならないと強く思い行動しているつもりです。私にそれができていれば人から信頼され、私が口だけ、思いだけで何もできていなければ信頼されません。信頼されるかどうかは自分ではなく、人が判断するもので、それを得られるよう日々努力しなければいけません。

 このように、信頼とは、言葉で簡単に表現するものではなく、お互いが様々な犠牲を乗り越えながらきずいていくものです。もちろん一日でできるものではありません。日々の積み重ねから生まれてくるものです。信じていた人に裏切られたり、また人を裏切ってしまったりすることもあるでしょう。その中で、許すことと許されることを繰り返しながら、ゆっくりコツコツと積み上げていく以外には信頼関係を築くことはできません。まずは客観的に自分を見つめ、自分が発する言葉や態度の中に相手を傷つけるものがないか、振り返ってみましょう。そして相手を尊敬し、誠実に生きていくことを学ぶ10月にしていきましょう。

9/13(金) 朝礼のことば

 2学期最初の行事である体育祭が終わりました。体育祭では、普段の学校生活の中で見ることのできない皆さんの新たな一面と、一人ひとりの内に秘められているパワーを見ることができました。特に印象に残ったのは、リレーと応援合戦です。リレーでは、授業中にはあまり見ることができない必死な表情を見ることができました。応援合戦では、少し照れくさそうにしている人もいましたが、楽しそうな笑顔をたくさん見ることができました。また、それぞれの曲や太鼓に合わせたダンスや振り付け、体形移動などをたった数日で覚えたことにも驚かされました。中学生・高校生の皆さんには、まだまだ秘められた力があることに改めて気づかされました。さらに赤組・白組それぞれの応援や一体感はもちろんですが、それ以上に素晴らしかったのは、赤組が応援をしているときの白組の態度、白組が応援をしているときの赤組の態度です。相手の応援を静かに見るだけでなく、競っている相手を盛り上げ、活気づける姿はとても素晴らしいものでした。皆さんの姿から、今月の目標である「協力」とは、こうあるべきだと感じることができました。

 今回応援団として責任を持って取り組んだ人は、みんなをまとめ、物事を進めていくことの難しさを学んだと思います。また他の生徒たちが気持ちよく協力してくれた時のありがたさも知ったと思います。何事も得意・不得意に関係なく、悩み苦しみながら真剣に取り組み、相手の気持ちを汲み取って協力することは、人としてすごく魅力的なことです。光塩で学ぶ人はそんな魅力的な人であり続けてください。今年の応援合戦では、残念ながら負けてしまった白組ですが、団長として、真摯に、そして一生懸命取り組んだ三浦君、そして彼をサポートした団員の皆さんの協力は素晴らしかったと思います。

 学校行事は、楽しい、面白いためだけにあるものではありません。生徒の皆さんにとって学習以外でも活躍できる場を設定し、行事をとおして皆さんをより良く成長させていくためのものです。体育祭は終わりましたが、あの時の熱い思いと頑張りをこれからの学習の中でも必ず発揮してください。

 さて、先程も話しましたが、今月の学院のテーマは「協力」です。

 協力は、頼まれたこと、すべきことを皆とともに喜んですることであり、一つの目標に向かっていろいろなアイデアを出し合い、より良いものをめざそうと積極的に行動することです。自分が賛成していることにだけに協力すれば良いというものでもありません。反対の立場であっても、全体のことを考えたときに協力しなければいけないこともたくさんあります。その時その時で、自分の置かれた立場、状況をよく見て、今自分に何が求められているのかを考え、判断する力が必要です。

 今学期は開校記念ミサ、バザー、高2の修学旅行、キャロルコンクールなど多くの学校行事と、部活の試合や発表などが続き、皆さんそれぞれに活躍の場があります。与えられた場所で、自分ができることを見つけ、練習に励み、みんなが一丸となって、協力を惜しまない。そんな魅力的な光塩生になるよう努めていきましょう。

6/28(金) 朝礼のことば

 先日の文化祭では、中学生・高校生の皆さんが絆のテーマを考え、それぞれの場所で輝いている姿や笑顔を沢山見ることができて、嬉しい時間でした。

 私が中学生、高校生、社会人まで・・・何度も言われたことに、「何でも良いから、何か一つ、一生できる趣味を持ちなさい。何か好きなことがあると、人生寂しくないから。」そう言ってくれたのは父でした。おかげでしょうか、私は、あれこれとチャレンジすることが、あまり怖く無くなりました。

 小学校で苦手だったスポーツも、中学校で始めたバレーボールや陸上、社会人でスキーにまで行くようになりました。料理も好きになり、植物をさわるのも大好きで、音楽も好きです。高校時代に教わった、トランペットやホルンの音色も大好きです。

 今は、アジサイの花に興味があります。梅雨のうっとうしい時期に、あざやかに咲いている青やピンクのアジサイ。多くの人に愛されている花です。光塩でも、保健室やベンチのそばに咲いていますね。

 幕末に、アジサイのこんな有名なエピソードがあります。シーボルトというドイツ人医師が日本に滞在していました。シーボルトは、お滝という日本人女性と恋仲となります。彼女を深く愛したシーボルトは、自分の好きな花であるアジサイに、お滝さんの名をつけようとします。その名は、「おたくさ」。しかし、アジサイには別の学術名がすでにあったため、認められませんでした。その後、シーボルトはオランダに帰国後、日本の植物誌をあらわし、その中で14種のアジサイを新種として介しています。日本あじさいが、シーボルトによって西洋に流れ、今ではアジサイは3000種類もの品種があるようです。

 アジサイの話題は、まだまだたくさんあります。

 このように、一つのことに興味がわき、好きになることで、もっともっと何か・・・知りたいことや出きる事が増えてきます。

 もちろん私には、苦手なことも沢山ありますが、小さなチャレンジから、できることが増え、興味も知識も増え、楽しさもふくらんできます。皆さんも目の前の疑問や興味から、ず~うっと続けられる楽しいことが見つけられると良いですね。

6/14(金) 朝礼のことば

 日本には移り変わる四季があります。

 春夏秋冬で表される四季ですが、日本にはさらに細かく季節を分類した「二十四節季」というものがあるのを知っていますか?

 言葉の通り1年間を季節ごとに24等分したもので、

 その24回の移り変わりに季節を表す名前がついています。

 春夏秋冬 この4つの四季の中にさらに6つずつの季節をあらわす名前があり、一般的に知られているものとしては、立春や春分、夏至、秋分、冬至です。聞いたことあるのではないでしょうか。

 これらは24に分けた季節のうちの1つの名前、先ほど話した二十四節季の名前なのです。

 もとは中国の戦国時代に生まれ、日本に伝わり江戸時代の頃から広く使われるようになったとされています。そして、二十四節季は天候の影響を受けやすい農作業の目安とされました。

 少し紹介します。

 春が立つと書いて「立春」。これは春の始まりを意味します。

 「立春」の次は、雨に水と書いて「雨水(うすい)」これは雪が雨に変わり、氷が解けて水になる季節です。「雨水」の次は、虫偏の漢字がつかわれる「啓蟄(けいちつ)」。これは冬眠していた虫や蛙が目覚め、地表に姿を現わす季節のことをさします。

 一週間前の6月6日には、種という漢字がつかわれる「芒種(ぼうしゅ)」をむかえました。これは稲や麦などの種まきや田植え行うのに適した季節のことをいいます。

 「芒種(ぼうしゅ)」の次は「夏至」です。1年でもっとも昼が長い日とされています。今年は文化祭が行われる22日の土曜日が「夏至」といわれています。

 「夏至」の次は「小暑」、その次は夏の中で一番熱い季節とされる「大暑」へと季節は移り変わっていきます。

 地球は地軸が23.4°と少しだけ傾いた状態で、太陽のまわりを1年かけて楕円の軌道で一周します。この地軸の傾きと楕円軌道によって私たちが暮らす日本は、太陽から受け取る光の量や時間が1年間を通して変動します。四季はどの国にもあるものではないのです。

 他にも気団や偏西風などさまざまな要因によって偶然にも、春夏秋冬の四季がはっきりしている

 日本に暮らす私たちですが、「春夏秋冬」の「四季」だけでなく、今日紹介した「二十四節季」のことを知ると季節の移り変わりをより感じることができるのではないでしょうか。

 二十四節季については1号館、3号館それぞれの理科室に掲示しているので、ぜひ見てみてください。

6/7(金) 朝礼のことば

 先週末まで行われていた山口県高校総体。参加した運動部の皆さんお疲れ様でした。シングルス・ダブルス、そして団体も2連覇で優勝し、インターハイ出場を決めた女子卓球部、おめでとう。岩国商業との決勝戦は一進一退の白熱した試合だったと聞きました。接戦を制した精神力は皆さんの努力の賜物です。本当によく頑張りました。卓球部以外のバスケ部、テニス部、陸上部の皆さんの健闘も顧問の先生からしっかりと報告をうけました。卓球・ダンス部以外の運動部の3年生はこれで引退となります。3年生にとっては、集大成の大会だったので、特に思い入れも強かったことでしょう。またこれまでの3年生の姿は、下級生の良いお手本にもなっていると思います。3年生の思いは2年生を中心とした後輩たちがしっかりと引き継いでくれます。部活動は、試合に勝つか負けるかだけではなく、3年間の厳しい練習を乗り越えたこと、練習や試合、人間関係などで上手くいかず、辛くて辞めたいと思っても、その時の自分の弱さに負けず、ここまで続けてきたことに大きな意味があります。引退しても、これまでの経験を今後の学校生活、又はこれからの人生の中で必ず役立ててください。本当にお疲れ様でした。

 さて、今月の学院のテーマは「ゆるし」です。新学期が始まって2か月が経ち、毎日の生活に慣れてくると、緊張感が薄れ、気が緩み、年度当初抱いていた目標、1年生は光塩に入学してきた目的も忘れ、次第にわがままが出始める頃です。慣れるということは、親しみも増しますが、同時に自分の思いどおりにならないことへの不平不満が出てきます。私たちは、このように不平不満を持ち始めると人と良いかかわりができなくなってしまいます。私たちは、日頃友達の何気ない一言に傷ついたり、たくさんの間違いを犯してしまったりします。さらに自分が傷つかないために、他人の間違いや失敗には敏感に反応して人を責め、それを正当化するために仲間をつくって攻撃したりもします。

 人を責めそうになったり不満が口から出そうになったりした時、自分自身のことを思い出してみてください。自分は失敗や間違いをしないのか?人を責める資格があるのか?私たちは自分が失敗したときは赦してもらうことばかり考えますが、人が失敗した時にはなかなか赦すことができません。『ゆるす』という行為は、私たちの日常生活の中で、常に課題となる難しいことです。だからこそ私たちは、常に家族をはじめ、たくさんの人から赦され、我慢してもらっていることを思い出し、人に寛大な心を持つことが大切だと心に留めておく必要があると思います。

 今月は、多くの人とかかわる時、相手の欠点ばかりを見るのではなく、相手を赦しながら、良いところをみつけられる人になるよう取り組んでいきましょう。

5/31(金) 朝礼のことは

 台湾について、知っていることはありますか。タピオカジュースやパイナップルケーキなど、近くて暖かい、そのようなイメージを持っている人も多いのではないでしょうか。また、千と千尋の神隠しで出てくる湯婆婆のお湯屋のモデルとなったといわれる建物がある九份はとても有名な観光地です。

 今回は台湾旅行で経験したことを紹介したいと思います。

 ジブリは好きでしたが、台湾にお湯屋のモデルがあるということは全く知りませんでした。首都台北から九份までは少し距離があり、電車とバスを乗り継いでいくことができます。台湾の公用語は中国語ですが、駅には英語の表示もあり、なんとか行くことができるだろう。そう考えていました。プランのない個人旅行なので、「午後から見に行こう」それぐらいの気持ちで、2時に台北駅にいました。電車で1時間、それからバスに乗って、ちょうど夕暮れの時間につくと思って電車を待ちました。丁度良く来た電車に乗り、座席に座りました。しばらくすると後ろから男の人が来て、何やら「ここは私の席だ!」と中国語で言っているようでした。周りを見ると、床に座っている人もいるほど満員の電車でした。もしかして、指定席のある電車に乗ったのかなぁと思っていました。少しすると女性の車掌さんが来ました。「指定席の切符を見せてって言われたらどうしよう。持ってないし特急券の切符もないし」と思っていました。するとその車掌さんは乗っている人を見ているだけで、何も話しかけないのに、私のところだけに来て「どこへ行きたいの?」と英語で聞いてきました。「九份」と答えると、「その近くの駅には止まらないし、この電車はすごく遠くに行くまで止まらない」と教えてくれました。そしてなんとその電車はその後2時間止まらず、すごく遠い駅まで私を連れて行きました。

 すごく遠い駅の手前で、女の車掌さんがもう一度やってきて英語で話しました。しかし、うまく英語を聞き取ることができず、何を言っているか、よくわかりませんでした。わからないことを伝えると「私についてきなさい」といって、駅で一緒に降りてくれました。するとなぜか駅には日本語の通訳が待ち構えており、間違った電車に乗って違う県まで来てしまったのだということ、今から九分に行くにはまたすごく時間がかかるけど本当に行きたいのかということの確認、そして九份に行くために違うホームの乗り場まで私を連れて行ってくれました。

 私は普段、「人に迷惑をかけないように」とか「相手の気持ちを考えて行動しなさい」とかと生徒によく言っています。

 今回私は人に迷惑をかけたのに、すごく親切にしてもらったことをどうしたらいいか考えています。台湾で間違って乗った行きの電車で2時間、帰りの電車で4時間、計6時間の電車の中で「迷惑と親切」について考える旅行となりました。

5/17(金) 朝礼のことば

 皆さん中間試験に向けての勉強は進んでいるでしょうか? 朝から嫌なことを思い出させるな。と思った人も多いかもしれません が、今日私がお話したいのはテストの話ではありません。

 今日、お話ししたい内容は、数年前に話題になった心理学「アドラー心理学」の話です。少なからず悩みを抱える皆さんに少しでも参考になればと思いこの話題にしました。

 さて、アドラー心理学は別名「目的の心理学」、「勇気の心理学」とも呼ばれます。

 「目的の心理学」とはどういうことか。私たちの言葉・行動・感情の動きには、必ず目的が先に決まっている。その目的を達成するために、私たちは感情を作り出し、言葉を発し、行動を起こしているのだ、という考え方です。

 例えば、先ほど、私がテストの話をしたこと。それによって皆さんは気分が沈んだと感じました。しかし、アドラーに言わせれば、私がテストの話をしたから気分が沈んだのではなく、皆さんの心の中に「テストのことを考えたくない、テストから目を背けたい」という目的が先にあって、その目的を果たすために、「沈んだ気分」を作り出し、テストのことを考えないようにしているのです。

 つまり、「テストの話をきいたから無条件に気分が沈む」のではなく、テストのことを考えるのと不安になるので、テストのことは考えたくない。だから、「沈んだ気分」を作り出して、目をそむけているのです。

 ではそもそも皆さんがテストに不安を覚えるのはどうしてでしょうか?テストでいい結果が出せないと、親に怒られるから、友達に負けたくないから、成績が悪くなるから、先生に指導されるから。など誰かの評価を気にしているからではないでしょうか? 

 それに対してアドラーは「他人からの評価を気にしない勇気を持て」と教えます。これはアドラー心理学が「勇気の心理学」と呼ばれる理由です。

 アドラーは他人からの評価のために努力するのではなく、自分自身のために取り組め。というのです。テストは、誰かのために受けるのではありません。ほかでもない自分の将来のために受けるのだと考えるのです。

 結局テストの話ではないかと思ったかもしれませんが、テストに限らず、人間関係においても、このアドラーの教えは皆さん助けになるはずです。アドラー心理学に興味が湧いた人はぜひ、「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」という本を読んでみてください。

 私は最近「嫌われる勇気」という本を読みました。あまり読書が得意でない私ですが、そのタイトルのインパクトから何気なく手に取った一冊です。後から調べてみるとこの本はエストセラーに選ばれた一冊でした。内容は、「人は変われる、世界はシンプルである、誰もが幸福になれる」と唱える哲学者をそんな詭弁は到底受け入れられないという青年が論破しようと議論を交わしていくものです。哲学云々というと、難しく考えてしまうかもしれませんが、二人の対話形式で進む議論はとても読みやすく、活字を追うのが苦手な私でもすらすら読み進めることができました。今日は、そんな本の中のある一節を皆さんにも知ってほしいと思い、紹介します。

 それは、「課題の分離」という話です。皆さんは、日常生活を送るうえで、たくさんの「課題」に直面していると思います。「課題」と言われてどんなものを思い浮かべますか?数学のプリント、英語のワーク、漢字テスト、はたまた部活動の自分の苦手なところ、といろいろ頭をよぎったのではないでしょうか。しかし、今日私が取り上げたい課題は、人間関係に関する課題です。この本によると、私たちの抱える悩みはもとをたどればすべて人間関係に関する課題であるといいます。この世にある悩みはすべて人間関係に関するものだ。とまで言い切っているほどです。さて、今皆さんの悩みは、何ですか?人間関係について悩みですか?一番に浮かんだ悩みが人間関係であれば、確かにそうだなと思ったかもしれません。でも、先ほど挙げた「宿題に関すること」が一番に思い浮かんだ人、自分の体形や容姿に関することが思い浮かんだ人、は「私の悩みは人間関係ではない」と思ったかもしれません。しかし、元をたどると人間関係の悩みなのです。「宿題や勉強が悩みの人」、あなたはなぜ宿題や勉強をしなくてはならないのですか?そんなに悩むほどならやらない方がましではないか。

 それは、「人生の嘘」という話です。この哲学者によると、私たちの発言、行動、感情には必ず、目的が存在するします。

 元号が「令和」になって初めてのテスト期間が始まり数日が過ぎました。来週にはいよいよ中間試験です。テスト勉強は確実に進んでいるでしょうか?2・3年生はこれまでの経験を生かして、早めの準備ができていますか?新1年生は中間試験がどんなもので、テスト期間に何をしていいものか、右往左往しながら勉強しているのではないでしょうか?

 そんな皆さんに私が今日お話ししたいのは、「自由とは」という話です。先日私は、ある本を読みました。その本の中にこんな一節があります。「千夏は自由だ。普通なら四苦八苦するような環境に全く負けていない。いろんなものを自由に好きになる。」

 皆さんはどんなことを感じましたか?

 私は、この一節から、自由というのは、自分の好きなこと、やりたいことだけを誰にも邪魔されずにできること、ではなく、なんでも好きになって、どんな状況をも楽しめることが本当の意味での自由なんじゃないだろうかと思いました。

 今の皆さんに置き換えてみると、テスト週間で嫌な勉強をさせられて、自分はなんて不自由なんだろう。テストなんてなくなって、自由な学校生活を送りたい。と思っているかもしれません。しかし、果たしてテストもないのが本当の意味での自由なのか

 つまり、自由とは相手に与えられるものではなく、自分自身で作り出すことができるということです。

 「課題の分離」というキーワードを軸に話していきたいと思います。

 今皆さんが直面しいる課題はテストです。中間テストでよい結果を出すという課題です。これは皆さんが避けて通れない人生の課題の一つです。当然皆さんは、この課題でよい結果を出すために毎日勉強を頑張っていることでしょう。その毎日頑張った過程に意味があり、皆さんの生きる力や自身・勇気につながっていくのです。でも、本番でいい結果が出せるだろうか、点が取れなく親や先生に怒られないだろうか、友達にバカにされないだろうか。という不安も同時に付きまとってくるかもしれません。しかし、それを決めるのはあなたの課題ではなくて、他者がどう判断するか問うことです。そしてこれは、他の誰の課題でもなく、あなた自身の課題です。ですから、あなたがその課題を自分と他者から切り離して考えなくてはなりません。テストでいい点を取ることが目的ではなく投げ出しても誰にも咎めることはできません。

5/9(金) 朝礼のことば

 緑の美しい季節になりました。今年は、10連休という非常に長いゴールデンウィークでした。この間、平成から令和へと時代も変わりました。皆さんはどのように、またどのような気持ちでこの連休を過ごしたでしょうか?ゆっくり休んで新年度の緊張感からくる疲れをとった人、部活づけの毎日だった人、EGF収穫祭やカレドニアンスカイ歓迎セレモニーなどのボランティアに参加した人など、それぞれ充実した休みを過ごしたことと思います。20日からは、新年度最初の中間試験が始まります。一回のテストが自分の将来に大きく影響してきます。しっかり気持ちを切り替え集中して学習に取り組んでください。特に高校3年生にとっては、1学期に行われる2回の定期試験が、これからの進路決定にとって大きな意味を持ちます。必ず最高の結果が出せるように努力してください。

 さて、カトリック教会において5月は、聖母マリアを讃える月です。ヨーロッパでは、春の訪れを喜ぶお祭りとして、いたるところでマリア祭が行われます。5月3日には津和野でも聖母マリア像を担ぐ行列で有名な乙女峠祭りが行われ、本校の生徒がたくさん参加しました。乙女峠祭りは、明治初期に、政府によるキリスト教弾圧で亡くなった殉教者を追悼することを目的に行われていますが、昨年はこのすぐ後に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録され、今年は長崎・浦上地区から津和野町に送られ殉教した37名について、福者の認定を受けるための調査開始が宣言されました。これまでキリスト教についてよく知らなかった人でも、これからは観光などで、これらの歴史について触れる機会が増えてくると思います。せっかく光塩に入学してきたのですから、ぜひ一度乙女峠祭りに参加したり、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産について学んだりしてみてください。

 今月の学院の目標は「かかわり」です。毎年年度当初、特に新中1・高1の生徒からよく聞かれる言葉があります。それは「小学校の頃が良かった。中学校の頃が楽しかった。」というものです。全てが新しく慣れない環境での学校生活が始まってまだ間もない時なので仕方ありませんが、このように思う人は、新しい友だちや新たな出会いとまだまだ良いかかわりができていない人だと思います。皆さんは、これまで小学校や中学校で長い時間をかけ、良いかかわりをし、より良い環境をつくってきたと思います。だからこれまでの学校生活は楽しく充実していたのです。新たな環境をたった1ヶ月で判断するのではなく、まずは新たな出会いと前向きに、良好なかかわりを持つように行動してみてください。それができれば小学校・中学校の頃のような充実した学校生活がおくれるようになると思います。また反対に小学校・中学校時代にあまり良い思い出のない人は、これまでとかかわり方を変えるだけで、自分の世界が大きく変わってきます。新たな環境は自分を変えるチャンスでもあります。卒業する頃には、今のこの出会いが良かったと思えるようなかかわり方をしていってください。周りの人と良いかかわりをもつことはとても難しいことです。人とのかかわりは、自分が傷ついたり、相手を傷つけたりすることもあります。でも、かかわることから逃げていては、いつまでもお互いを理解し合うことはできません。自分が苦手だと思っている人と関わることを避けていては、相手も心を開いてくれません。強い心でコミュ二ケーションをとることによって、周りの人と良い人間関係ができるのだと思います。

 今月は、かかわりと自分を見つめることの両方を大切にする月にしていきましょう。

4/19(金) 朝礼のことば

 新年度が始まり2週間が経ちました。

 新入生の皆さんは、友だちや先輩、先生方の名前を少し覚えることができましたか?また、2年生・3年生の皆さんは、新しい学年としての自覚が芽生えてきたでしょうか?

 さて、今日は体育館での朝礼ですが、普段、光塩の朝礼はホールで行います。そして、毎週金曜日は、先生方の話しを聞き、聖歌を歌います。光塩では、この朝礼をとても大切にし、予鈴から本鈴までの2分間の沈黙は、一日の始まりにけじめをつける貴重な時間になっています。今日一日どのように過ごしたいか?前日の反省や今日一日の取り組み方を、しっかり考える時間として使ってください。

 また、生徒手帳5ページに学院の精神を具体化させる、毎月の目標が書いてあります。

 今月のテーマは「出会い」です。地球上にはたくさんの人間が存在し、たった一人の人間と出会う確率は、およそ65億分の1であると言われています。皆さん、今隣にいる人を見てください。その人とは、計り知れない確率で出会っているのです。この出会いには、必ず深い意味があります。他者との出会いは、「自分を幸せにしてくれるもの」だと考えがちですが、決してそれだけではありません。その出会いや関係のあり方からは、痛みや軋轢を生むこともあります。私自身もたくさんの出会いに対し、痛みや苦しみを繰り返してきました。その繰り返しによって最近、ようやく気づいたことがあります。それは、他者と出会うことは、自分を幸せにするだけではなく、自分を成長させるための気づきや学びだということです。その人と出会ったことで、自分の成長のために、何に気づき、何を学ばなければいけないのか。そのように自分自身に問いかけることで、出会いは深い意味を持つようになるのです。自分の心の柔らかさ、素直さによって、新たな発見や素晴らしい出会いがあります。これからも、皆さんが、ひとつひとつの出会いを大切にし、自分の成長につなげていくことを期待しています。